『素顔のままで』第18弾その3
EOS−1Vのテスト撮影も兼ねた今回であったが、同じEOSであったから、いきなり広島まで
行くロケで使う事が出来たのだ。これが他のメーカのF5やα−9であったなら、そうもいかなか
った。
実際に、撮影中は新しいカメラに変わったという感覚をほとんど忘れて、まなちゃんに集中できた
のであるが、もう少し撮影に新鮮さを感じながら撮っててもバチは当たらないだろうし、ちょっと
淋しくもあった。
本当に、これといって新しくなった実感のない1Vなのである。
遅れているPCとのリンクソフトが届くまでは、楽しみもお預けのようだ。
せめて、ファインダーだけでも劇的に進歩してくれていれば・・・
しかし、先にも書いたように、同じ操作性を備えているのはもちろんのこと、スポット測光を使う
私の場合、ぴったりと露出のコントロールが出来たことは大きい。
今までのノウハウをそのまま使っての撮影で、露出に関してはまったく問題がなかった。
最近のまなちゃんとの撮影では、大口径単レンズの開放域を使う事がめっきり減った。
大体、ポートレートといえば明るいレンズでバックを大きくボカすものであるという認識は、今と
なってはいささか古うござんす。
せっかく気持ちのいい所に来て、そのロケーションから感じた構図で撮影するのであるから、ボカ
してしまうのはもったいない時も多い。
ボカして様になるロケーションもあるので、決めつける気はないが、撮影する前に感じたままを絵
にしようと思えば、自然に望遠系を避けることが多くなってきた。
なんでもかんでも、背景をボカせばいいってもんじゃない。
だから、私はEF50mmF1.8のレンズが1本あれば、立派にポートレートが撮れると思うの
である。
ただし、普及タイプの標準ズームにISO400を詰めて、絞り込んで適当に撮るのとはわけが違
うのは言うまでもなく、微妙なボケのコントロールがあってこそ意味がある。
それで、今回の写真を見てまなちゃんが、私が奥行きを感じさせる構図を多用しているが、自分が
撮る時にも参考にするよって言われて気が付いたのだが、確かに今回は縦の奥行きをイメージさせ
るフレーミングを多く使っていたのである。
こうやって、まなちゃんとの撮影を続けてこれているのには、感性の近さもひとつの要因であると
思っているが、実はこういうことがあった。
私は、今まで静止画である写真が好きであり、それほど動画の映像には興味が無かったのである。
しかし、価値観なんて変わるもので、商店街のドラッグストアの店頭にあるTVモニターに繰り返
し映し出されていたあるCMに見入ってしまい、こんな私のような大男が、似つかわしくない化粧
品売り場の前で仁王立ち状態であったのだ。
それは、資生堂ピエヌのCMで大人っぽくなった一色紗英が出ているやつだ。
そのCMの中で動き回る一色紗英の動きが自然で何とも美しく、表情もまたいいのだ。
それを上手くカメラマンが追いかけていて、動画もいいもんだ・・・って初めて思いながら、ファ
インダーで表情を追いながら、シャッターを刻むイメージを膨らませていた。
その話しを、まなちゃんにしたところ、彼女もそれをしっかり見ててよく覚えており、私と同じこ
とを感じたと言うのである。
まなちゃんとは息が合うとは思っていたが、実際にそういうことがあると、改めていいパートナー
に出会えたものだと思うのだ。