向き合える相手


今回のゆみちゃんとの撮影までにかなりの間隔があったが、久しぶりであったわりには、ごく自然に撮影ができた。しかし、ゆみちゃんの場合は、まだまだ私に対して遠慮が残っている部分があって、私としてはそう言う壁はどんどん取っ払いたいと思うのである。

その点、まなちゃんは私がすることに対して、遠慮することなく受け入れてくれる。例え、それがコンビニでおやつを買うにしてもである。遠慮されるほど、まだどこかに一線を引かれているわけだが、そんな難しいこと考えずに受け入れてくれることが嬉しいのである。 

モデルとカメラマンの関係なんて、遠慮がどうのこうのなんてどうでもいいことかもしれない。
しかし、私にとってはそういうものではなく、あくまでビジネス抜きで一緒にやっているのだから、私が個人撮影をする相手としては、そんな第三者から見ればどうでもいいようなことが、大切なのである。
今回はヘアメイクすることもあって、ミナミのゆみちゃんのマンションに上がりこんだが、女の子の部屋に入れてもらうことは、ある意味ゆみちゃんとしてもプライベートな大きな部分をさらけだす事でもあり、恥ずかしいことかもしれない。
そんなワンステップを大事にして行きたいと思うのである。

私にとって、まなちゃんとゆみちゃんは大事なモデルであり、私もそんな二人に出来るだけのことをしてやりたいと思うのだ。だからといってこの二人は私に媚びることはない。
それに、自分のやりたいことを自分の意志でやっているようで、それに関してもありのままを話してくれ、誤魔化しが無いのである。
私には都合のいい事を言っておきながら、またどこかで舌を出しているようなことが感じられないのがイイ!

極端な話、私が仮に何か気に入らないことがあったとしても、彼女達には「私は私なんだから好きなことをやるよ」ってところがあるのだ。
私は、都合よくチヤホヤされるのは好きではないので、八方美人的なやつとは付き合えない。
その点、この二人はハッキリしていて実に気持ちがイイのである。
だから、私も迷わされることが無く付き合いを続けていられるのである。
やはり、こう言った部分でお互い惑わされると、信頼関係なんて簡単に崩されてしまうのである。
私はヘンクツ者でもあるので、そういう部分にすごく拘ってしまうのかもしれない。

だから、個人撮影のモデルとして撮り続けるということは、そういう繋がりを大事にしている結果であって、モデルをキープしておきたいというような、単純な考えではない。
モデルなんてその気になれば、いくらでも確保できるが、一旦撮影を共にすればもっといいものを撮ってあげたいと思うのは自然な発想ではないか。
そして、撮り続けるっつーことはそんな薄っぺらいものでは無いのだ。

そんなことを言う私も同じで、毅然とした態度でなければ、単なるわがままな自分勝手男になってしまうのである。またこんなことを書いて、これがまなちゃんにもゆみちゃんにも読まれることは、容易に想像がつくが、そんなことは構わないし、信じ合えていると私は思っている。 
当の二人以外でも、こんなことを書けば私に撮って欲しいなんて言ってくるモデルが減りそうだが、分かってくれている方が、こっちとしてもありがたいのだ。

やっぱり、ポートレートの個人撮影は向き合って撮るものであると思っているし、それが出来る相手を選びたいと最近特に思うのである。それはカメラマン、モデルどちらにも言えることであろう。

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