『素顔のままで』第21弾!(IN KOBE)その2


今回は、撮影目的でまなちゃんが広島から来たのではないので、私も強行に撮影を実施したわけじゃないし、撮影予定を組んで臨んだのでもない。
あくまで、まなちゃんの夏休みを少しでも楽しいものにしてあげたいと思っていた。
とは言っても、目の前にご馳走があっても、箸をつけられないのと同じで、欲しかった服が買えてそれを着て嬉しそうにしているまなちゃんを見てて、撮影抜きなんてことは酷なことである。

時間的には1時間ほどであるが撮ることが出来、第21弾を刻むこととなった。
撮影することさえできれば、それがたとえ1時間であろうとも相手がまなちゃんであれば、なんとかなるって安心感がある。

それで、今回はこの場所を見つけてから、まなちゃんと訪れたいと思っていた所に行くことができた。長く続くムービング・ウォークであるが、200m以上は連なっているのではないかと思われるが、なかなかこう言う場所にはお目にかかれない。それと撮影のロケーションとして好都合なのは、人気がほとんど無いのと、完全に屋外であるということ、それに軽いスモークがかかった屋根がついているだけである。 

さて、撮るとなるとどうしても広角レンズを駆使してみたくなる所である。しかし、それだけでは面白くも何とも無いし、相手がまなちゃんなのだから、主役はまなちゃんであり、私との空気感以外は考えられない。それでいてちょっとカッコいい写真にもしたいものだ。
決して、ロケーションの説明的な撮影だけはしたくなかった。
ショートカットにして、ヒップハングのスリムなジーンス姿のまなちゃんがピッタリはまった撮影になったと思っている。良くぞ思い切って髪をカットしてくれたものだ。今年の初めのスパイラルパーマの頃とは、まったくイメージが変わった。

話題は変わって、前回少し触れたまなちゃんの友達と三人で日曜日に食事をしたのだが、是非私に会いたいなんて言われたのだが、OKに決まっているではないか。大切なまなちゃんの親友だし、『素顔のままで』のパリ旅行のページにも登場してくれている、まさみちゃんとのご対面ということである。
去年の暮れに一度まさみちゃんが本格的に写真をはじめたいと聞いていて、そのままになっていたのであるが、 まさか数ヶ月の間にここまでやってたとは驚かされたわけだ。
まず、食事をしに出かけたクルマの中で使ってるカメラを聞いて驚いた。中古で買ったらしいが、その選択がなんともシブイ。もちろん一眼レフでOLYMPUSのOM−2だと言うのだ。
私としては、まったく予想していなかった“オーエム・ツー”という響きに一瞬驚いたが、よく考えてみると、サイズといい質感といい、なかなかいい選択をしたものだと感心したのである。

最近流行りの金属ボディーのマニュアル一眼レフであるが、レンズも50mmF1.4一本で頑張っているらしいのだ。この手のカメラを持つ女の子はファッション的に持って歩くだけの子もいるわけだが、そんなのであれば私と会いたいなどと言ってくれるわけも無く、マジでいい写真を撮ろうという想いが伝わってきた。

食事の席について、私は丁度まなちゃんに見せるために持っていた、20弾のポジをスリーブごとまさみちゃんに見せて、いろいろ話をはじめたのだが、ずっと友達でいたまなちゃんのフィルム上の姿に驚きながらも、興味深そうに見ていた。
その後、私のEOS−1Vにいろんなレンズを付けてファインダーを覗いてもらったが、20mmの画角がとても気に入ったみたいで、まなちゃんと二人で覗いていた。

次にまさみちゃんが持ってきたOM−2を見せてもらったが、何とも懐かしい感じがしたのである。私が学生の頃、友人が持っていたOM−1を思い出して、その小型のボディーとスリムなレンズの心地よい持ち心地を楽しませてもらった。まなちゃんも、愛着が湧きそうなカメラだと言っていたが、まったくその通りで、昔のカメラってそういうところが確かにあった。

まぁ、そこまではよくある話である。しかし、まさみちゃんが持って来た3冊のポケットアルバムを見せてもらって、それまでのノスタルジックな気分も吹っ飛んでしまったのである。
なんとも、センスのある写真を撮るものだと感心したのだ。確かにまだピントの甘さや、ブレが目立つし、絞りによる被写界深度の計算やフレーミングの甘さは目立つものの、それを忘れて見入ってしまうような魅力があるのだ。
印象に残ったのは、何が写っているのかわからないのだが、とても暖かい優しい光と空気を感じた写真がある。説明を聞いてもふーんと思うだけで、それが何であるなんてことはなど関係ないのである。
それと、夜の街の風景もよかったし、早朝の魚市場の朝市に出かけて行ったらしいが、朝日を浴びた得体の知れない細長い魚の活き活きとした艶を感じさせてくれた写真・・・他にも色々見せてもらったが、決して安易に撮っていないのが分かるのである。何にどう感じたから撮ったというような意図がしっかりあるし、バカ正直に被写体に近づかず、被写体をしっかり見る眼があるのだ。
そんな写真を見せてもらって、少なからず刺激を受けたのは、まさみちゃんではなく私であったのかもしれない。

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