人それぞれの撮影会
さて、『素顔のままで』第21弾のアップも一気にPart1,2を終えたが、世間はまだお盆休みって所も多いようだが、私はさっそく今日から仕事をしてたりするので、最後に一日フリーの日を作って、まとめてやっちまった。
今回は、特に私がまなちゃんを撮りに出向いたのではなく、まなちゃんは大事なゲストとして広島からやって来てくれたわけで、いつもの撮影とは少し状況は違うものの、撮り出してしまえばいつもとなんら変わるものではない。
撮影会とちがって、何時から何分間どこで撮影して、何分休憩なんてスケジュールがあるわけではないから、同じ場所で粘って撮り続けることも多い。しかし、撮影会ではないのでまなちゃんも緊張感を保ち続ける必要もなく、私もそんなことを要求などしない。それどころか気楽にリラックスした時間を一緒に過ごしたいと思っている。まずこれができるから撮影が楽しいのである。
そういうものが無かったら、こんなつまらないものは無い。
相手が生身の人間だけにのらない相手なら風景撮影している方がよっぽど気が楽ってものだ。
いい作品を撮影するためだけが目的でモデルと顔を合わせ、規定の本数なり設定した撮影が終了すればそれでバイバイなんてことは考えられないことだ。
私のポートレートのイメージとはそう言うものじゃなくて、その時にお互い楽しくなけりゃやる意味を持たないと思っている。だから、買い物の合間に撮ることはこの上ない最高のシチュエーションだし、撮影が終われば美味い寿司が腹いっぱい食えると思うのもいいことである。
これが撮影会となれば、モデルとドライブすることもなければ、一緒に二人でディナーを楽しめるわけでもない。しかし、そのモデルと楽しい時間が規制はあっても過ごせるのであるから、それは楽しいことである。しかし、それが最優先になってしまうのは考え物である。
これはある意味問題発言かもしれない。私の目にそのように映っている人も、その本人にすれば精一杯頑張って撮影しているとも考えられる。
今まで写ルンですでスナップしか撮った事が無い人が、頑張って一眼レフを買い、解説書の一冊でも買って一夜漬けであっても撮影会に挑んでいる場合も多いのだろうから、それはその彼にとってはかなりの頑張りである。
だが、どう考えても動機が不純だと私には見えてしまう人がいないわけではない。
多くの人は、いい写真を撮ろうと努力しているのが伝わるのだが、そうじゃない人もいるように感じるのは私だけであろうか。
私だって、まなちゃんとデートしてるのか撮影してるのか分からないようなことをしているし、他にもモデルから撮影依頼を受けたり、街で女の子をスカウトしたりと楽しくやってるが、ちょっと待て、一緒にするなということだ。しっかりメリハリはつけているつもりである。
それまで、苦節何年・・・ 小学生になった頃から子供にとっては高いカラーなんてとんでもなくて、モノクロを詰めたハーフサイズのキヤノンのダイヤル35と言うオヤジがキヤノンからもらってきた、けったいなカメラで撮りまくり、やがてペンタックスSPと50mmレンズ一本で、写真を身体で覚えてきたのだ。
中学の頃には暗室作業も覚えてたわけだが、私もここで苦労話をする気はさらさらないし、苦労したとも思ってなくて、その当時はそれが楽しくて仕方なかった。
ただ、いきなり撮影会で撮りやすいモデルを撮れる彼らを何処かで羨んでいるのだろうか・・・?いや、そんなことはない。しかし、私にとっての“撮影会”と彼らが捉えている“撮影会”では解釈が違うと考えれば、私の抱いているモヤモヤの答えは出るように思うのだ。
しかし、私はあえてそんな撮影会で私流を貫いて、イイモノを撮っていきたい。