イメージにあてはめろ


撮影会に参加して撮ると、どうもへそ曲がり写真が増える気がしないでもない。撮影会と言っても、私が参加しているのは茜ちゃんの撮影会だけなのだが、同じ条件で撮影した写真がネット上でたくさん公開されることが多いだけに、他のカメラマンとは違う何かを見せなければ・・・という意識が働いているのだろう。
それと、茜ちゃん本人が楽しみにして見てくれてると言うのも大きい。
最初の撮影では、ちょっとした小技をいきなり使って、茜ちゃんの目を引いたりしたが、2回目以降は、すっかり覚えてもらって、かなり楽になった。

実際、撮影会で茜ちゃんを撮っているカメラマンの中では、一番経験が豊富なようだし同じような写真を撮ってても進歩がない。今までの経験を活かせなくては何にもならず、「Joeさんはモデルがまなちゃんやゆみちゃんでなければ、別に他のカメラマンとなんら変わらんな・・・」なんて思われても仕方ない。

元々、去年の暮に撮影会に参加するかもしれないとここで書いたが、それには私なりに、いろいろ考えがあってのことである。
なぜ今更、撮影会に?って意見もちらほら聞くが、これはこれで意味があると思ってやっていることで、個人撮影から見て撮影会に参加して撮ることが、低レベルだとは少しも思っちゃいない。

個人撮影とは別物だと思っていたが、そうでもない部分も多くあって、私流の撮り方もやり方さえ間違わなければ、それほど周りに嫌がられずに出来なくも無い。
多くのカメラマンを平等に相手しなければならない撮影会のモデルを、如何に他のカメラマンと違うアプローチで狙い、撮影会だってここまで撮れるという方向性は出して行かなければ、私としても参加した意味が薄い。

そのためには、茜ちゃんをモデルに選んだのは正解であったとも言える。人気者なので他のカメラマンの撮影した写真との比較も容易であるし、なんと言っても撮っていて茜ちゃんの反応がすごくいいので、私の撮り方に持ち込みやすいのだ。

茜ちゃんの場合、自分の見せ場をしっかり持っているし、それを見せるテクニックも完成されたものがある。しかし、それをそのまま撮っていれば誰が撮ったものか分からないどころか、誰が撮っても同じような写真になりかねない。
使っているレンズやフィルムの違いはあっても、その中に存在する茜ちゃんの姿かたちは、大差ないってことになる。

もちろん、完成された美しさは素直に認めるし、絶対に押さえておかなければいけない部分であるが、それさえもどこか一味違うものを・・・という考えがを持ち続けるようにしている。
それは、他人を出し抜くと言うよりも、私自信のカラーだけは相手が超メジャーなレースクィーンであれ、それが撮影会であろうとも貫き通したいと思ってしまうのである。
その点では、茜ちゃんは相手として不足無しってことだ。

私の撮った茜ちゃんは、確かに他ではあまり見かけない表情が多い。それは自分でもそう思っているし、それが狙いなのであるから、当たり前である。見慣れない表情を写し止めると言っても、その表情が魅力的でなければ、ただのゴミに過ぎない。
それは常にレンズを茜ちゃんに向け、ファインダーで追っているだけで押さえることが出来るものもあるが、自分から何かアクションを起こさなければ絶対に撮れない表情も多い。

また、時々茜ちゃんはまったく誰もいない方向に視線を投げかけることがあったりするが、それは時間として表現できるほど長くはない。それに気がついてカメラを向け、ピントを合わせても、その一瞬を捕まえることは出来ないので、茜ちゃんの動きを予測する必要があるが、それは、今までの私の経験からピンと来ることが多いのだ。また、そんな表情が実に魅力的であり、嵐山の駅のホームでは、一人駅で誰かを待つ女の子というシーンを連想させるが、ただそう言うイメージは撮り手が感じていなければ、ピタッとはまった時にシャッターは切れない。
私はこの駅のホームで撮り出したときから、“男と女の出会い”をテーマにしたいと考えたのであるが、実際に茜ちゃんが何を感じていたかは、分からない・・・
そういう話を一度してみたいものである。

<−戻る