夢を売る商売?
綺麗なものを綺麗に撮る。これはある意味簡単である。おねーちゃんを撮る場合であれば、モデルが綺麗であれば、「それなり」に写っていたなら綺麗なおねーちゃんの写真が出来上がる。
今はよっぽど、ドン臭くなければそれなりには写るカメラを誰もが持っているはずなので、後は高級レンズの力を借りることで「それなり」から「プロみたい」な写真が撮れるのだ。
望遠気味の明るいレンズを開放域で使ってやれば、背景から浮き上がってくるが、暗いズームレンズで撮っている人が世の中大多数なので、スゴーイ!「プロみたい」ってことになる。
そんなレンズは10万円以上することが多いので、思い切った投資になるが、清水の舞台から飛び降りた心境で買ってしまうと、どうしても使わなければ勿体無い。ということになってしまって、もうこれ一辺倒になる。また、それらのレンズはいい結果を約束してくれたりするので、離れられない深ーい関係になってしまうわけだな。
そして、周りの友達に写真を見せたりすると「プロみたい」って反応が跳ね返ってくるので、ついその気になってしまうわけだ。しかし、実際には余りプロはそういう撮り方をしてないのだが・・・
撮影会などで、慣れたプロのモデルを撮っていたりするのだから、綺麗なおねーちゃんの浮き上がり写真の大量生産に入ってしまうことになる。
気分は最高!ってことで、撮影会通いが始まるが、モデルはプロであるから客を満足させるのが仕事である。次またお呼びがからなければ、生き延びていけないのである。
RQとかで有名でも、月に最低2回は撮影会が入ってないと苦しいらしいので、頑張っちゃうのだろう。まぁ「夢を売る」商売ってやつだわな。
カメラマンを前にしたモデルは、とっておきの笑顔で迎えてくれるものであるが、それはそれをカメラマンが待ち望んでいるからで、夢を売る側としてはそれに応える癖がついてしまっているのかもしれない。
以前、モデルをしてまだ日が浅い女の子の宣材を撮った時に、いいタイミングで私がシャッターを切っているのに、突然思い出したように、笑顔を作ろうとするのだ。それが綺麗であれば許せたかもしれないが、どう見ても半分引きつったようにしか感じない。そんな彼女をファインダーで見ていてとても困ってしまうわけだ。「無理に笑わなくていい」ってはっきり告げるべきなのか、気持ちよく撮り続けるべきなのか・・・ 恐らく、彼女とすれば、自分が撮影会でやってきたことをしなければいけないと考えたのであろう。それが、わかるだけに私としても可哀想になって、口元の力が抜けた瞬間に1回だけシャッタを切った。こんなことが3度ほどあったであろうか、私の撮影リズムが悪いから余計なことを考えさせてしまうのだと、思い直したことがあった。
しかし、頼まれて撮るとロクなことがなく、私自身がノリ切れてなかったのだと今になって思うわけだ。
しかし、とてもいい夢見させてくれるモデルが中にはいたりするわけだ。撮影会ならそれを買うために参加費を払っているのだろうが、「コラァー金返せー」と叫びたくなるようなモデルもいれば、いい夢見させてくれるモデルもいたりして、ついはまってしまう。だが、その夢から覚めないまま次から次へと撮影会に通うような私ではないし、夢は所詮夢物語であって現実ではなく、私自身がやりたいことが出来ずに、夢だけ見せてもらってルンルン気分で帰るわけにはいかないのだ。
逆に、夢を買ったふりして夢を見させてあげれた撮影だったのか・・・ なんて思うことがある。
夢見る少女なら可愛くもあるが、夢見るおっさんほどブサイクなものはない。
私も、まなちゃんとの撮影で、モデルに何が与えられたかを大事にする癖がついているのかもしれないが、それは決してしんどいことではない。
こんな些細なことをいちいち考えているヤツは私ぐらいかも知れないが、売った買ったの撮影が馬鹿らしくなることがあって、こういうのも程々にしないとなーって感じだ。
やっぱり、私と個人的に付き合ってくれているモデルとの自然な流れに身を任せているのが心地いい。