疲れない関係


最近、またまなちゃんが嬉しいことを言ってくれた。
今年で3度目となる、まなちゃん用の年賀状が完成したので印刷して送ってあげたのだが、「着いたよー、ありがとう」って返事と共に、いろんな想いを伝えてくれた。
大阪から、広島の三次に住むようになってそろそろ2年になろうとしているが、『素顔のままで』の撮影がいい刺激になって、田舎の暮らしにどっぷり浸からずにすんでいるし、オシャレ心を失うことがないのも、私との撮影が続けられているからだと言ってくれている。

まなちゃんは、ヨイショするタイプでもなければお世辞も言わないが、時々こうやって私を喜ばせてくれる。私としても、まなちゃんとの撮影を通して、色々と得るものがたくさんあった。
他のモデルとの撮影がすんなり出来るようになったのも、撮影会にいきなり参加しても自信を持って自分の撮り方ができるのも、すべては『素顔のままで』での経験があってこそなのだ。

特別素晴らしい写真を撮ってあげれたわけではないが、技術やお金が無くったって何かそれに代わることはしてあげられると、常に思ってやってきた。
その結果がいつ具体的に現れたとか、ある時期をさかいに私たちの関係に変化が出たわけでもない。しかし、私の作品創りのためにモデルだけとしての付き合いでいてもいいのだが、一緒に創っていくパートナーであって、いろいろと話す時間も多くて撮影のことだけではなく、年の差もそれほど感じずに対等に接することが出来た。それが、表面的に『素顔のままで』の写真となって表現出来たのは、私たちには永遠に残せる手段があったからだ。
元々、撮影が目的であったのに、いつの間にかそれを一緒に創って行けることに喜びを感じれるようになってしまったようだ。

色々と思い返してみても、モデルとカメラマンとして出会って、ここまで上手く行くのは相性の問題だけでなく、多くの要素が重なり合った結果であって、物理的に広島と兵庫という距離的なことは、それほど障害とは感じなかった。それどころかまなちゃんが広島に住みだしてから、さらにいい関係が築けたように感じるのだ。

私たちの関係は、どちらかの気持ちが切れたらそれで終わりなのである。何の契約もないし金銭的な利害関係もないのだから当然のことだ。しかし、その分なによりも強いとも言える。
モデルとしてギャラを払って撮るカメラマンとして出会ったのがきっかけではあるが、何がどうなってここまで来れたのか、自分でもよく分からない。まぁ、何か策略?ちょっと言葉は悪いな。計画を立てて物事ができるタイプでもないので、自然にやりたいようにして来た結果である。

大体、モデルとカメラマン・・・モデルからすれば客であるが、そんな関係じゃ和やかに話が出来てもいたとしても、実際にはロクに話が噛み合わないものなのかもしれない。プロのモデルとしてやって行く以上、客であるカメラマンやクライアントに対して、愛想が良くて話を合わせてくれるのは当然と言えば当然のことだ。
そういう関係を離れた部分で仲良くなれたことが、今に繋がっているのだと思うが、それをすんなり受け入れてくれたまなちゃんに感謝している。

一緒に食事したり買い物したり、撮影だってハイキングの延長みたいなもので、「ハイハイお仕事だよ」なんて空気は存在しないわけだから、逆に今から何分休憩なんてこともない。
時には、今日は終わりにして、ご飯を食べようと言っておきながら、いい場所があったらちょっと撮るぞなんてのもあり。ルール無用のなんでもござれであるが、信頼関係ってやつのもとであればこそである。しかし、こんな関係は無理して作ると疲れてしまうもので、こうやって私が個人撮影の素晴らしさを語れるようになったのも、いい相手に恵まれたことに尽きるってことだ。
相手に何かを期待して、それが叶わなければ疲れるだけで、そういう疲れる関係にだけはしたくないものだ。

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