最近思ったこと
撮影するには、カメラとレンズは必需品どころか、無ければどうしようもないが、今年になってEOS−1Vを発売日の前日に手に入れ、意気揚揚と初撮影に挑んだ『素顔のままで』第18弾。それが今年の4月1日エイプリールフールの日であった。
しかし、まなちゃんと出かけた帝釈峡では、一度も1Vのマグネシウム・ボディーを撫でることさえ無かった。
元々、メカ好きで新しいもの好きの私であるが、1Vを買ったものの嬉しくてワクワクするような気分にならない。せっかく苦労して手に入れたのだから・・・と気持ちを奮い起こしても、どうにかなるものではなかった。
なんなんだ・・・こんなもんなのか・・・ しかし、私がつまらない気分だったわけではない。一緒に春の気持ちのいい日差しを浴びて、まなちゃんと帝釈峡を歩いていることで満たされていて、1Vの切れのいい動きを楽しむことなんてどうでも良いちっぽけなことだったのである。
良い撮影が出来ていれば、機材に凝りまくることなんてないのだ。
こんな撮影がしてあげたいと思ってレンズを増やすことがあっても、こんなのを撮って他人に差をつけてやろうなんて気持ちが無くなるのだ。
そう言う部分が、客観的に見ると撮影会専門カメラマンには多いように感じるのだ。言い換えれば、大した撮影してないように見える。大人数の撮影会で大きなカメラを持ち出すのなんてその典型だ。と言うか、撮影会なんて結局浅いのだろうな。そんなことで楽しむのもヨシとしよう。反論してくれたって良いが、両方を経験した私としては、あえて言わしてもらう。
一年前に撮影会に参加してみようと決めて、今年は何度か撮影会に足を運んでみた。そしていくつか得るものもあり、分からされた事もあった。それは頻繁に撮影会に通っていた時期では気付かなかったものであって、その渦中にある人には、馬の耳に念仏ってことは私も分かっている。
そして、つい最近であるが考えが変わってきたのである。一人のモデルを撮り続けることの素晴らしさを語って来た私であるが、こと撮影会に限って言えばそうでもないなぁ・・・と。
撮影会は撮影会であって、どう転んでも個人撮影の域にはなり得ない。今年は茜ちゃんを撮り続けてみて、それなりに感じる部分は確かにあったが、まぁそこまでってところか。
私が撮った茜ちゃんの写真程度は、他のモデルにわき目も振らず、べったり張り付いて撮らずとも、撮れて当然と言える程度のもの。気に入った写真も、集中して撮影していれば「数打ちゃ当たる」のレベルを脱していない。結局は浅いのである。それを深めようと追っかけ回しても、どうなるもんでもない。結局はファンでもないのだから、そんなパワーなんて沸かないし。
それに気付いた今となっては、もし来年以降撮影会に参加すれば、人が変わったみたいと言われるほど動き回ってみようと思うのだ。限られたモデルに集中するのは、それに応えてくれる相手だけで充分であって、撮影会では割り切って来ているモデルに対しては、割り切った接し方をして、その中から、短時間に「単にシャッターを切ってる人とは違うよ、この人」って感じさせるような自分の追い込み方をしてみるつもりだ。
「参加費払ってるんだから、好きなようにやらせてもらうよ」ってことではないが、撮影会の楽しみ方も考えようで、与えられた駒を残らず有意義に使ってみるのも悪くない。
今後、宣材をまとめて頼まれるようなオファーがきてたりもするが、その練習の場にさせてもらうのもいいし、十人十色をいかに自分なりに消化するかも今後の課題としては面白いし、なかなかこいつは難しいが、やってみる価値はあるかもな。
しかし、そんなことを考えるのも、本当の意味でのパートナーがいるからでなのは言うまでも無い。