演出って?
演劇には演出家が付き物のようだが、ポートレート撮影において、モデルに指示を飛ばす演出家がいるのは見たことが無い。それをカメラマンが兼ねることになるのだが、どこまでがモデルのナチュラルな動きでどこからが演出なのだろう? そして、演出って必要なのだろうか?
風景写真でも、梅の花に薄っすら雪が積もった朝に撮ったり、昆虫が花にとまるのを待ったりと演出とも言えることをしているが、それは演出と言えるかもしれないが、ナチュラルさを大事にした部分であって、霧吹きで水滴をつけてみたり、邪魔な枝を折ってみたりすればそれはれっきとした演出になるのだろう。
ポートレートにおいても演出は存在すると思うが、私は手取り足取り位置を決めたり表情に注文を付けたりすることはまず無い。
ポートレートで有名な河野英喜カメラマンと仕事をしたことのあるゆみちゃんに聞いた話では、細かくすべてをチェックされて決められてしまい、まったく自分が出せない撮影だったと言っていた。仕上がった河野氏の写真を見てもそうは見えないが、実際は演出の結果であったのだ。
素人モデルなら分からないでもないが、ゆみちゃんほど動けるモデルであってもそこまでやるとは驚きであった。
それがプロの仕事の完成度であり、アラの無い写真を撮ろうとすればそこまでの演出が必要なのだということか・・・?
たとえそうであったとしても、私は今の自分の撮り方を変えるつもりは無い。
もちろんまなちゃんとの撮影でも、演出と言える部分は無いとはいえない。しかし、ポーズの指示を細かくつけることや、笑えだの睨めだのと注文をつけるようなことはなく、そのポーズであればそのポーズが自然に出るような場所を探すし、表情だってその時、その瞬間にまなちゃんが見せてくれる表情を撮っている。
多分、私が眉間にシワを寄せて露出や構図に悩んでいたとすれば、まなちゃんは絶対笑うことは無いであろう。
雲が無いのに雨は降らないし、雲っていると虹も出ない。すべては自然に逆らうことなくモデルとの間に吹く風を一緒に感じたいのである。
表現力豊かなモデルに対して、その表現の元になるイメージが浮かべやすい状況を作ってあげることこそ最大の演出であると思っているのだが、それはまなちゃんのような感受性溢れるモデルでなくても同じだと考えている。
光の当たり具合の関係で顔の角度を決めることはあるが、注文を付けるとすればそれぐらいであろう。
新鮮で活きのいい魚は刺身で食べたいのと同じで、何でも手を加えれば美味いってもんじゃない。誰かに分かりやすい喩えだと言われたが、体重移動で気持ちよくカーブを曲がれるバイクに乗っているのに、無理やりハンドルを力まかせに切っているようなものではないか。
茜ちゃんのような活発に動きそして笑うモデルに対しては、中途半端な演出でポーズや表情を要求するよりも、出来るだけナチュラルな部分を上手く生かしてあげたいものだ。せっかくの素材を殺すようなことにならないのは、茜ちゃんの技量でカバーされているだけかもしれない。
同じ馬に乗るのでも、馬術のように調教技術を競うものより、ロデオのように暴れ馬と一緒に楽しんでしまう方が私は好きなのだ。
結局それって、自分流にモデルを演出するよりも手抜きなのかもしれない。しかし、はまった時の強さはどんな演出でも及ばないはずだ。ただ、そんな難しいこと考えた事なくて一緒に楽しんでいるだけなんだけどね。