“e-girl”を見て
ここを訪れる茜ちゃんファンの人は、私が久々に秀丸を立ち上げてこの原稿を書くのを予感し、待ってくれていたかもしれない。
何のことか分からない人のために軽く説明すると、茜ちゃんが初のソロ写真集を出したのだ。私は久々に写真集なるものを見ることになるが、さっそく取り寄せてみた。それは、写真集のキャッチフレーズの「オキテ破りの衝撃ショット」に惹かれたわけではない。
茜ちゃんと撮影を通して、その空気を共有した者として、撮影を任された大山文彦カメラマンがどう撮ったかに興味があったからだ。負けず嫌いの私としては、ショックに打ちのめされることは有り得ないと思ったから、見る気になったとも言える。断っておくが、このショックとは茜ちゃんの露出度に関してでは当初なかったのである。
結論を先に言うと「ヤラレタッ」って感じたショットはワンカットも無かった。モチロンそれは茜ちゃんに対して批判の意味を込めたものではない。曲がりなりにも職業カメラマンとして撮影している私として悔しい気分になるカットが無かったと言う事だ。茜ちゃんのこんな表情見たこと無い・・・ってのがワンカットぐらいあるのを期待していたような、していなかったような・・・
私は何度か茜ちゃんを撮っていて、撮影の呼吸は覚えているが、そんな私の持っているイメージをひっくり返してくれる期待も込めていたんだが・・・
そしてもうひとつ、今回は写真集というビジネスについて大いに考えさせられたのである。
ドキッとさせられるシースルーや、キワドイながらもヌードのカットなどが数多くあったが、どうしてもカメラを見つめる茜ちゃんの瞳の奥を見てしまうのだ。そして何かメッセージを感じようとしてしまうのだ。このビジネスの主役たる茜ちゃんが、そのものに気持ちよく溶け込んでいるのかな?って思ったのは私だけであろうか?
過度な露出が悪いとは言ってない。ビジネスであるからマーケットの要望を反映したものに仕上げなければならないのは、私も分かっているいるつもりである。ただ、いつの間にか、写真集というものの在りかたが変わってきているのは確かなようだ。
世の中、このような露出に需要があって反応があるのが現実である。最近も仲良くしているモデルに過去に撮影したヌードのネット流出について注意を促したところであった。
私もオトコであるから、純粋に女性のハダカは好きであるし、美しいともセクシーであるとも感じる。また、このような写真集について否定するつもりはないのである。ただ、なんでもってことではない。
この撮影雑記の338話で私は中島史恵さんの写真集“in
NATURAL”について書いた。
その後も、中嶋さん本人に宛てたメッセージに本人からとても気持ちよく撮影できたと返事をもらっっていた。この338話を今一度読んでもらえれば、今回の茜ちゃんの写真集に対して私が感じた部分が自然に浮き上がってくると思っているので、ここでこれ以上は語るまい。
最近、撮影の仕事で打ち合わせをしたのだが、その時も私の撮り方を良く分かってくれて、それを尊重してくれたことで気持ちよく話を進めることが出来た。こんなへそ曲がりな私を相手にするのは疲れるかも知れないな・・・なんて思ったりもしたが、先方の女性も「どんな人物が現れるかドキドキだったが、安心しました」と言っていた。
私の撮影スタイルと言えば、ご存知まなちゃんとの『素顔のままで』と言う事になるが、まなちゃんもこの4月に広島から兵庫に生活の拠点を移して立派にナースとして働いている。まだまだ緊張感を持ちながらではあるが、元気にクルマ通勤で新社会人としてのスタートを切っている。
少ない休日にはドライブを楽しんでいるようだが、いいロケーションもたくさんあるらしい。すでに二度遊びに行っているが、撮影には困らないことだろう。
また、嬉しい事に珍しくまなちゃんから撮影プランの提案も出ているので、再開の日も近いということである。