ノスタルジーを考える
気が付けば50万ヒットを超えてしまっている。コンスタントに見てもらえているが、最近の更新ペースを考えると申し訳ない気がしてならない。
正直言って、ネット人口が増え続けていることで尻上がりにヒット数を稼いでくれるはずだと、30万ヒットを超えた辺りから思ったりしたが、ところがそう世の中何事も上手く行くものではない。ネット人口が増えると同時に、デジカメやスキャナーの飛躍的な進歩&価格の低下で写真を扱うサイトが爆発的に増えているのであるから、興味が分散してしまうのは当然のことだろう。それを考えればロングランが出来ているのは、有り難い事である。
私がここを立ち上げた時期に私が一閲覧者として楽しみ、参考にしたサイトも多くが消滅していたりするのは淋しい事である。あの頃は味のあるサイトがあったもんだ。
今は、デジカメが余りにも安直に上手く見える写真を創り出してくれ、そのままWEB公開出来てしまうデジタル画像提供してしまうのだから、ネットで写真ごっこをして遊んでいる連中にはいいおもちゃが出来たものだ。
私が、今までやってこれたのには、色々と気付かされる事があったからである。それは、自分が過去に持っていたオリジナルな色々な感情・・・ 人間の味覚と言うものは、10歳頃までに決まると、ある有名な料理家が言っていた。へぇーそんなものかな?なんて感じたが幼い頃の明確な記憶などは今となってはそれほど明確に覚えているものではない。しかし、想いをめぐらせてみると、それは味覚だけのものではない気がする。
自分という部屋に住んでて、窓から見る風景はいつも同じ。中には窓が無い部屋だってあるだろう。しかし、部屋の隅に目をやったり、押入れの中に首を突っ込んでみたりすると、何かが見つかるかも知れない。置きっ放しになっているどうでもいいような大きな荷物をどけてみると、何かが見つけられることだってあるのではないだろうか。
しかし、そう言うことは、何不自由ない世の中にどっぷり浸かっている我々には、なかなか自分独りではそれに気付かないし発見も難しい。
私は、まなちゃんとのロケで広島に20回ほど出掛けた。そして好んで私がクルマを向けるのは、彼女が育った高野町であった。学校をサボっておやつとジュースを手に独りでたたずんでいたせせらぎや滝であったり、遠足で行った牧場であった。単にロケーションがイイからって理由じゃない。感情豊なまなちゃんのことであるから、何かを感じてくれただろうし、それを少しでも一緒に感じたいと思う私自身の心地よさがあったのだ。
過去を振り返る・・・決して後ろ向きのイメージは持たないで欲しい。未来に向けて生きているからこそ、過去は大事にしたいと思うのである。また、これからも将来感じるであろうノスタルジーをたくさん創ればいいのだ。そんなことを一緒に出来るまなちゃんの存在は私にとっては大きな出会いであった。
最近、平井堅が「大きな古時計」をヒットさせているようだが、8年前に友人の徳永英明は、「Nostalgiaツアー」と題して全国ツアーを行ったが、徳永はその時ノスタルジーを感じてもらおうと言う企画を立てて、毎回ステージ後半の始めで童謡コーナーを作ったわけだ。そして、大阪城ホールでは、故郷(ふるさと)と大きな古時計を歌ったが、持ち歌でもなくその日限りの歌にしておくのは余りにも勿体無い出来であった。よくぞライブ版を残してくれたものだ。それは、中学時代に音楽の授業でヤツの歌を聞いていた私が勝手にノスタルジーに浸ってしまったのかもしれないが・・・抑揚の効いた徳永の歌声は一本調子の平井堅のよりは、気持ちをどこかに運んでくれる力を感じる。