人と同じは好きくない


古いジョークでこんなのがある。アフリカに靴を売りに行った二人のセールスマンの話だ。Aさんが本国に打った電報は「ミコミ ナシ。トウチデハ ダレモ クツヲ ハカヌ」もう一方のBさんが打った電報は「オオイニ ミコミアリ。トウチデハ マダ ダレモ クツヲ ハイテイナイ」
さて、貴方はどちらでしょうか?今風に言えば、“ポジティブ・シンキング”ってことになるのだろうか。でも、その前に“発想の転換”ができるかにかかっているが、世の中、Aさんタイプが多いんじゃないの?って思うのだがどうだろう。

ノーマルとアブノーマルって一本の線できっかりと左右に分けられるものではない。ノーマルってのは世の中の大多数ってことで、そうじゃなければアブノーマル?でも、アブノーマルってイメージがよろしくないが、少数派って貴重なんじゃないだろうか。誰もがやってる事をすることがこの日本では良しとされる風潮があるようだが、私はこれにはあまり乗っかりたくない人種なのである。

とは言え、私もサラリーマン時代は、これにまるっきり乗っかった業務に就いていたわけだ。SEをやっていた頃は技術担当であり、あちこちでRelationalDBの講習を行っていた。その中で処理効率のイイSQLなんてのをやっていて、そのために作ったマクロを推奨したり、高効率SQLのパターンを押し付けて、「皆さんも、このようにプログラミングしましょうねー」などと画一化を広めていた。その結果、どこのシステム部門も同じようなプログラムが大量生産されていたことになり、それがノーマルであり、アブノーマルは許さなかったのである。
余談であるが、コンピュータの2000年問題なんてのがあったのを覚えておられるか?その時期なんかは、人手が足らなかったこともあり、私だけでも数千本のプログラムに目を通し、千本近いプログラムを修正し稼動確認テストを行ったものだ。その時に30年以上も前のプログラムも存在していたりして、当時はまだパターン化されたモノなど無かった時代で、各自がそれぞれ自由にプログラミングしていたものだから、後に別人が解析しようと思っても、なかなかユニークなアイディアが盛り込まれていたり、複雑怪奇であったりして、苦労させられたものだ。しかし、作成者に今の重役の名前などが見つかったり、それはそれで、古きよき時代を思い起こさせてくれた。しかし、今となっては誰が見ても一目瞭然で理解できるプログラムを書くことが優れたプログラマーの常識となってしまっている。まぁ、そんな仕事はしていたものの、私個人としてはユニークなサラリーマンであったようだ。

なんだか、写真と関係ない話題が延々と続いたが、私が言いたかったのは、写真はやっぱりアブノーマルでありたいものである。どこの誰もが撮りそうなのばかり撮っていても、やっぱり目立たん!それに存在価値も薄いのだ。
私も、そんなことを考えて撮影を始めたわけじゃなかったが、今はつくずくそう感じるのである。アブノーマルって表現はふさわしくないとしても、やっぱり自分流ってのを見つけてこそ意味があるのではなかろうか?

この撮影雑記にしたって、ホームページを開設しようと思った時に写真だけではなく、読み物をひとつの目玉として考えていた。こと、写真のサイトに関してはどうしても機材のことが書かれているところが多い。そんなことはカメラ雑誌を見ればいいと思うが、スポンサーとかのしがらみを受けない個人的な意見が読めて、それはそれで面白かったりもする。後は、撮影技術的な側面もあるが、それらは全て写真を実際に撮ってたり、カメラが好きな連中だけが面白いだけのような気がしたわけだ。

私には写真仲間は意外に少ない。と言うより、誰かと一緒に写真を楽しもう!ってことを今まであまりやってこなかった。こんな楽しいもの、誰かを気にしながら一緒にやろうとは思わなかったのである。それは写真に限ったことではなく、楽しい事は一人でしみじみ楽しさを噛みしめたいのである。なんか、ネクラなイメージであるが、私は教えるのが好きみたいで、どうしても誰かが一緒だと、そっちの方が気になってしまうタチであり、それならそのような場を別に作りたいと思ってしまうのだ。
一方、写真仲間が少ない反面、女性にサイトを見てもらう機会が多い。それはまなちゃんをはじめとするモデルもいれば、これからモデルになってもらうかも知れない女性もいる。また、まったく関係ないケースも多いのだが、自ら撮影をしない女性にとって、機材のことをこと細かく解説されても面白くも何とも無い。それで、私はモデルである女性に関してをメインテーマに掲げて、この撮影雑記を書き始めたのである。当初は写真好きからはサンダーに似てるなどと言われたことも多かったが、今となってはまったく毛色が違うと気付いてくれているようである。


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