空気感を大切に
シチューエーションと光を決めて撮り出して、ワンカット目はカメラマンの腕、そこからの3カットがモデルの技量、そのまた後はまたカメラマンの腕でもあると思っているが、ただシャッターを切っていても、そんなに表情のパターンを繰り出してくれないもので、そこをどう引き出しにかかるかが、大事であると思っている。“話し掛けながら撮りなさい”なんてことを書いた解説書も多いが、そんなことしてたら、口元の締まらない写真を大量生産するだけだ。あまり解説書に踊らされないようにしなければいけないってことだ。
そんな時、答えを求めるような会話はタブーで、モデルが表情の変化の目や口元の動きで返事ができるようにしてあげなければいけない。その働きかけは言葉である時もあれば、動きであることもあるが、シャッターでリズムを取りながらであることが重要だと思っている。しかし、そんなこと自体が億劫になるモデルもいるんだよねー。
撮影会なんかでは、私がどんな撮り方をするのか、興味を持って参加してくれる人が今まで多かったこともあり、典型的な撮影会タイプの撮り方をしている人に、何か今後のヒントになれば・・・なんてことを思うようになったのである。おこがましいかも知れないが、無言でズームリングをグリグリするのではなく、何かを伝えるアクションが一番有効なのだと気がついて欲しいと思ったのだ。十人十色ってことで、人それぞれ自分流の撮り方を持っているのは充分理解しているつもりだが、気がついて損は絶対にさせない。
以前、ここでも書いた事があるが、キヤノンだったかフジだったかの大規模撮影会で大山謙一朗カメラマンが、指導中にフィルム一本を参加者の目の前で撮ったことがあった。その時のことは今でも忘れられない鮮烈な記憶として残っているのだが、撮り出した時のその場の空気の変化は並ではなかったのである。その時のモデルには、今まで参加者には一度も見せたことの無い表情が浮かび、心地よく撮られているのである。プロのモデルがあそこまで、カメラマンを選んでいいの?と思わず周りの顔色をうかがってしまったほどだ。しかし、そんなことを考えさせる隙もない条件反射のようなものだったのだろう。
それを一流カメラマンのオーラの成せる技だとその場で処理してしまうには、余りにももったいないシーンであったし、これを見ただけでもあの撮影会は私には大きな意味を持っていた。
昔の自分がそうであったように、撮影会は自分の撮り方でじっくりと撮りたい人もいるだろう。その積み重ねが自信となっていくのは私も経験しているし、その自信が運命のモデルとの出会いに向けての大事な保険になるのだから、私の取った行動が少しでもその近道になったと感じてくれてたりすれば幸いである。
ここで私は再三「空気感」を伝えたいと書いてきた。しかし、この空気感とやら、言葉で表現しようとも、なかなか出来るもんじゃない。元々ボキャブラリーに乏しい私としては、いつもじれったく感じているのである。
ただ、公式があったり答えが一つの数学ではないので、その時々で見つかるものも違えば、空気の色合いも密度も違うのだ。
あれは神戸の震災のずっと前のことだから、もう10年以上経ったことになるが、初めて“これだっ!”って感じた撮影があり、それ以降この感覚を追い求めて来た。そのモデルとは撮影会で出会い、何度か撮るうちに感じた瞬間であった。
これは、私だけなのかもしれないが、撮影会でたった一度っきり撮っても、これはなかなか得られるものではないと思うのである。
やはり、何度か顔を合わせ、お互いの息が合いだしてからだと今までの経験で何となく感じている。
それは、撮影に限ったことではなくて何だっていいのだ。それどころか、撮影以外での時間が持てる方がずっとイイ。
私が思うに、忙しいタレントが写真集を撮るためによく海外に行くが、それは良いロケーションを求めてのことだけではないと思うのである。モデルとカメラマン、そしてスタッフが日本を離れてしばらくの間、寝食を共にすることで何かが生まれるのではないか・・・。国内にいれば、ヤレ仕事が入ったとか取材だとか理由をつけて、それぞれが物理的にも気持ち的にも離ればなれになってしまうのではないかと・・・。もし、現実はそんなことではなくても、私はこの考えで今までもこれからもやって行くつもりである。
だからって、どうすればいいなんて答えが出ているわけでも何でもないが、自然にまかせるしか術はないわけで、これから一緒にやって行きたいと思ったモデルは何人かいたが、無理は禁物である。私が無理に手を引っ張って行く事も可能かもしれない。しかし、それでは意味が無いって思うのである。例えば私が声を掛けて、それに表面的に良い返事がもらえても、それがどこまで本意なのかが、見えて来ないような相手であり、そんな関係ではまだまだ機は熟していないのである。
そんなもの、撮りだしてから判断すればいいのかも知れないが、そんな部分に拘るのが私である。また、ここに拘ってこそだと思うのだが・・・。
撮りたいと思った女の子がいたら、カメラを構えてすぐに撮りたがらずに、まずは仲良くなることではないだろうか。そしてモデルとカメラマンとしてだけでない繋がりが持てれば、おのずとイイ空気感なんて勝手に出来上がってしまうのである。空気感を演出しようとしたり、カメラを構えてから強引に作ろうと頑張ってみたところで、結果は惨めなものじゃないか。実際に撮影しなければ結果は残せないが、もっと意味のある時間の過ごし方を考えてみるのも悪くはないぞ。