暗記と記憶は大違い
前回書いたことの続編っぽいが、400話を超えてもなおネタが尽きることはないから、心配ご無用だ。
私は10年以上前の撮影でも、その時の撮影シーンを思い浮かべる事ができる。モデルの名前を忘れてしまっていたとしても、その時のシチュエーションやモデルとのやり取りを思い出すことができる。
だから、こうやって撮影雑記をいくらでも書き綴ることが可能なのである。
特に、初期の頃の撮影は色々考えながらの撮影だったので、時の経過と相反して記憶に刻まれていることが多いし、『素顔のままで』の撮影はどのカットも覚えている。そしてまなちゃんの様子も鮮明に蘇ってくる。
撮影メモを付けろと言う諸先輩方も大勢いるが、私もそれを実行しようと考えた事が一瞬だったが確かにあった。しかし、撮影に没頭してしまうとそんなことしている暇はなかった。それは都合のいい言い訳かもしれないし、その気になればサッサとメモることぐらい工夫次第で可能だったかもしれない。但し、それは私と違って几帳面な人向けだと思うのである。私に置き換えて考えると、メモしたことに安心してしまい、記憶に残らないと共にそのメモさえどこかに失ってしまうか、残っていたとしても後にそれを見て復習などするはずがない。
学生の頃、漢字や英単語などはよく書いて覚えたものだが、撮影データと受験勉強を同じ土俵で考えていいものか、はなはだ疑問である。
右脳人間の私の場合、文字に残すよりも、その時のシーンを脳裏に焼き付けておいた方がよっぽど脳ミソの引き出しになるのである。
二十歳頃から乗っていたRX−7の改造費のためにバイトに明け暮れていたことがあった。そう言えば、あの赤いRX−7は授業中に「今からクルマ買いに行くわ」と友人に言い、午後の授業をブッチして即決で決めてしまった、私らしい行動であった。
当時、神戸で一番大きな喫茶店でウェイターをしていたのだが、そこは3フロアーあって団体客が非常に多かったのだ。特にこの季節であれば、新入生歓迎コンパの二次会でゾロゾロと客が絶えない。そしてその客がメニューを見て、20人すべて違うオーダーをしたとしても、私は難なく覚えることが出来たのだ。
メモを取らない私を見て、ヒソヒソと何やら相談したかと思うと、面白半分で全員が違うオーダーを半笑いを浮かべて言うのだ。「こいつ絶対に途中で慌ててメモしだすぞ」ってな具合だ。しかし、私は平然と頷き、また楽しい時間がやって来たと感じてほくそえんでいた。そしてそのオーダーを大きな一枚のトレーにまとめて一度に載せて行き、オーダーした一人一人の目の前に配ってあげる。そしてすべてを置き終えて、幹事らしき人の前に伝票を滑り込ませた瞬間に歓声と拍手をもらったものである。
それは必死で丸暗記したわけじゃなく、オーダーをした人の顔と声、そしてそれを発した口の動きをインプットし、それをキーにしてオーダーの名前はもちろんだが、同時に色とグラスの形、ホットかアイスかの温度などのイメージ情報を紐付けしていくのである。
例えばコーヒーフロートであれば、こげ茶色と白い18番サイズのバニラに細長いグラスで、ストローとロングスプーンを添えた冷たいもの。レモンスカッシュなら、透明で炭酸の泡が浮き上がり、レモンが乗っかってる姿を瞬時にイメージするわけだ。
そのイメージ映像を再生しながらオーダーを通すのだが、仮に忘れた場合はこっそりとオーダーをした客の顔を見れば、口の動きを思い出すのである。
余談だが、私は普通の丸いステンレスのトレー一枚の上に、ホットコーヒーを一度に27杯積み上げて三本指で運ぶ事が出来た。トレーが指先に張り付いているようにホールをドリンクを載せたまま走り回り急ターンも簡単だった。また、人差し指でトレイを回し、それを天井にぶつかるまで放り上げて、また指一本で受け止めて回し続けるなんてパフォーマンスで客を楽しませたりもした。それで今で言えばクラブだろうが、当時のディスコからよくスカウトされたものだった。だから、最近流行りのセルフサービスのコーヒーショップなどでは、思わず三本指で器用にトレイを操ってしまいそうになり、わざとぎこちなく両手で持つようにしているのだ。だって、私より上手いウェイター見たことないし、客が上手すぎるってのも恥ずかしいじゃないか。
余談が過ぎたようだが、その時のシーンをしっかり頭に焼き付けておけば、撮影時のシチュエーションやその前後の会話、そして撮影データまでも忘れる事はないってことを言いたいのである。その時のモデルの動きをしっかり見て撮っているはずだから、決して難しい事ではないはずである。メモに頼るよりよっぽど賢くスマートな方法である。
と、偉そうなことを言っても、私は女性の電話番号さえも覚えられないほどで、記憶力がいいわけでは決してない。
ずっと以前に書いたかもしれないが、両手の指を組んだ時、左手の親指が上になったら右脳人間なんだって。今これを読みながら手を組んでる人が疑問に思っている、利き手に関係はないようで、かなり信憑性のある情報である。