お互いに与え合えたら
思い上がるつもりなぞ毛頭ないが、見知らぬ人たちがパソコンの前で私の撮った写真を見たり、書いた文章を読んで何かを感じてくれている。そう思うと確かに快感である。
今後、この撮影雑記は撮影エッセイ(Shooting
essay)と改めたいと思ったりする。似たようなものだが、何となくそんな気分なのである。
話は変わって、アマチュアカメラマンの場合は基本的には撮影料を取って撮影するわけじゃない。手っ取り早くいいモデルを撮ろうとすれば、経験豊なプロモデルかアルバイトのモデルを使う事になろう。その方が結果が安定するのは間違いない。どちらにしても相手は商売でモデルをしてくれるのだから、金銭を“与える人と受け取る人”の関係が出来上がってしまう。元々そういう契約が事前に成立しているのだから、自然な流れであり、常識であって誰もそれについて疑問は抱かないし、気が付いていない。
しかし、プロの撮影現場では、スポンサーが与える側になって、撮影の当事者は受け取る側で同じスタンスに立てるわけだから、事情は変わってくる。
中には例外もあって、宣材を撮る場合などでは、その日集まったモデルたちから撮影料を徴収してそれを撮り手が受け取るケースも多い。しかし、それもワンクッション置かれている場合が殆んどなので、モデルからカメラマンへの金銭のやり取りはあまり表面に出て来ない。
撮影会の場合は主催者に参加費を支払うわけだから、ギャラを払って撮影している実感は薄いが、今回撮影会は除外したい。
逆の場合もあって、素人の女性から「いくら払えば撮ってくれるの?だいたい3万円ぐらい?」ってな感じのことを聞かれることが何度かあった。しかし、そういうリクエストに応じた事は今まで一度もなくて、殆んどのケースは話題を変えて遠まわしに断ってしまう。
「欲がない人だ」と言われる事も多いが、格好をつけているつもりはないのだが、いつもそうなのだ。
ちょっと写真が上手いからと言って、がめつく金儲けをしないのが、私の良いところでもあり、欠点でもある。
中には撮りたいと思わせる女性もいるが、その時はタダで撮ることにしている。後にお礼だと言ってプレゼントをもらったりする事もあるが、そういう場合は素直に嬉しく頂く事にしている。
たとえ、3万円也を頂戴して撮ってあげたとしても、いや、撮ってあげたではなくて撮らせて頂いただな。撮影自体を変える気はないし、結果として大きな差が出るとは思えないのだが、どしても気分的なモノが違うのである。“与える人と受け取る人”の関係が好きではないし、義務感が生じることがどうもいけない。
本当に個人的に撮りたいと思う女性であれば、お金を貰いたいなんて思わないはずである。だから、私と撮影したいと思う女性も同じ想いの相手を選びたいと思ってしまうのだ。
実際、何の実績もなくルックスも人並みの女性から、ギャランティーはいくら位もらえるのですか?って問い合わせが来る事もある。何を勘違いしているのかと思いながら、丁重にお断りしている。
しかし、ギャラを払ってでも撮りたいと思う相手だっているはずだし、まなちゃんとの撮影も出会った頃は実際そうであった。
ただ、私は“いい撮影を与えたい”といつも思っているのである。お金を貰って撮れば、それは当然の義務であり、逆の立場なら、モデルは最高のパフォーマンスを発揮するのが義務となる。おっと、あくまでも、これは二人で撮るケースでクライアントのための撮影では当然のことながら事情は異なる。
待ち合わせして撮影し、時間がきたらギャラを払って別れるのは簡単である。一対一の撮影会みたいなもので割り切った撮影ということだが、私はギャラを惜しむのではなく、気が付けばそれ以上の経費が掛かっていたとしても、“お互いに与え合う”空気を作っていきたいのだ。
その部分をもっと上手く文章で表現したいと思うのだが、いつもなかなか説得力のあることが書けなくてもどかしい。