昨日よりキレイでいて欲しい
私がこうやってこれを書き続けていることは自分自身が一番驚いている現象なのである。
あの徳永も、デビューからしばらくは殆んどの曲が他人の作詞であった。私が良く知る彼の学生時代は作詞するようなキャラではなかったように記憶している。しかし、いつの間にか立派な詩人になっていて、未知の一面を見た思いである。やはり、自ら作詞した曲には愛着もあり感情移入も容易いのではなかろうか。不得手だと思い込んでいたことも、いざやってみると何か変化があるのかもしれない。とは言っても、私には作詩など高尚なことは出来そうもないが。
そして、文字を綴ることに加えて、徳永は自分の世界を築いたと思えるメロディーを創り歌声を聞かせてくれているが、それに対して私にできるのは写真ということになるのだろう。
まったくジャンルは違うが、私は他のカメラマンを目標にしたいとか尊敬するなんて思ったことはまったくないが、徳永にはクリエイターとして色んな意味で刺激を受け励みに感じている。
私は、モデルにいつも気に留めていて欲しいと思っている事がある。いや、モデルだけではないな、親密な女性に対してもこうあって欲しいと思っているのである。
“昨日の自分よりキレイになろう”これは、簡単そうでなかなか難しいかもしれない。日増しに化粧を濃くしろとか、流行に乗り遅れるなと言っているわけではない。気持ちの問題であって、単にお金を掛ければいいわけじゃないので、簡単そうでいて持続するのは難しい。しかし、誰に対してもこれを口に出して伝えた事はなかったので、初めてメッセージを形にしたことになるが、言わずとも感じてくれることこそ本来の姿だと思っている。
エイジング・コンプレックス(Aging Complex)って言葉があるようで、20代に入ってからの女性の多くがそれを感じるらしく、環境や価値観で人それぞれ想いは違うのだろうが、揺れる女心を自覚する時期らしい。
これに繋がることとして、“自分が自分に戻る時間を大切にして欲しい”とも感じるのである。妙に哲学的な表現になってしまったが、周りに惑わされてもロクなことはないと思うわけだ。
話は戻って、“昨日の自分よりキレイになろう”などとはカケラほども思ってなさそうな人って多い。それは男女ともに言えることで、決して美人やハンサムでい続けろと言っているわけじゃない。ハナから諦めているような人はともかく、勿体無いと思うケースが何と多いことか。この歳になって思うが、同世代でもこれだけ差が出てしまうものなのか・・・って感じる事が最近やたら多い。
そのためには、自分で根性決めて頑張ることも少しは大事だろうけど、何かしら心の支えというか、楽しみにしてることってのが必要ではないだろうか。
撮影の相手に関しては、その励みのひとつになりたいと思うのだ。
撮影の相手に限らず、職場の女性だって同級生でもいい、増してや大切な女性に対してはナチュラルに気に掛けてあげたいものである。美容院に行ったことすら気付いてあげられないようでは優しくなさ過ぎる。新しい服など着てたりしたら、それに触れてあげなきゃ折角のタイミングが惜しい。マニキュアの色ひとつにしたっていくらでもあるはずだ。
私が誉めたばっかりに、レストランで食事中にフォークを置いて立ち上がり、クルッと回った挙句、靴を見せようとテーブルより高く脚を上げた女性もいたが、きっと昨日よりキレイになった瞬間であったはずだ。
モデルが輝き続けるための最高のプレゼントはそういう心のポイントを突いてあげる撮影をすることではないだろうかと思うのだ。撮り手のエゴばかりが目立ってそれがまったく感じられない写真ってのがある。それはそれで、カメラマンの作品であるから、その素材であるモデルをどう料理しようと勝手だし、そうしなければならない仕事だってあるだろう。しかし、そんな写真は見ても感心することはあっても、気持ちよくカンジちゃうことはない。