ポートレート最高?再考?


前回はかなり脱線したので、今日はちょっと真面目に行こう。と反省したフリをしてみるか。
FMラジオにゲストで浅井慎平カメラマンが出ているのをたまたまカーオーディオで耳にした。新しいCDを聞くのを後回しにして、思わずそれに聞き入ってしまったのである。新しく装着したマフラーのサウンドを忘れた瞬間でもあった。
「最近、ポートレートはのほうはどうですか?」のDJの問いかけに浅井氏は、最近は撮りたいと思うモデルがいないと答えていらした。表情も“ON”と“OFF”しかなくて、笑った表情や悲しい表情のその裏側に何かを感じさせてくれるモデルが減って、なかなかその気にならないらしい。顔が平面的になってしまったとも語っていたが、なるほどそうだと思った次第である。

連続した動きの中から、作者であるカメラマンが切り取って作品にするのだが、その一瞬を抜くことが、ポートレートの真髄であるとのことだったが、私がここでしつこいぐらいに書き続けていることのそのものズバリである。
たしか、シャッタースピードのことは過去に書いたと思うが、1/125sec程度の人間の目の能力に近いシャッターを切ることがいいポートレートを撮るコツだと、あまり公には明かしたくないと言いながら、ネタバラシ的に語っていた。
しかし、あの有名な葛飾北斎の冨嶽三十六景の波の絵は、科学的に調べると1/5000secほどの高速シャッターで撮影したぐらいに波しぶきが描かれているのだそうだが、当時そんなカメラで撮った写真をサンプルに出来るはずもなく、天才葛飾北斎にはそれが見えていたのであろうとのこと。
しかし、現代の天才イチローだって150kmの速球が止まって見えるはずはなく、他の球技でも同じことが言えて、それを打ち返せるのが人間の感覚的な能力であると語っていたが、私としては、先ほどの1/125secの話と繋がるように感じたのである。

一連の流れの中で、どこが自分の感性を響かせシャッターチャンスとしてモノにしたかが、カメラマンの腕の見せ所なわけだ。投手の指先から離れて、様々な回転を加えられたボールがあらゆるスピードや軌跡を描いて自分のミートポイントにどう届き、それをいかにジャストミートするか。センスと練習の積み重ねで瞬時に判断して打ち返すのだが、その動作の逆に近い部分をイメージすれば、何かが見つかりそうである。

それは一枚の静止画を見て、それからどんな軌跡や変化、そして時の流れを想い描くかが、私はポートレートの最大の楽しみ方だと思っている。ルックスの良し悪しだけにしか目が行っていない大多数の人も、過去に一度や二度は何かしら気持ちを惹きつけられた写真があったはずだ。
ポートレートは「キレイなおねーちゃんを観賞して(鑑賞でないのがミソ)下半身に響くかどうかじゃないか!」と言っている人も、報道写真では、色々と感じた経験があるはずだ。それがないようなら、人間やめますか?と問いたい。
例えば、事故の写真一つにしても被害者と加害者の身になって、そこに想いが行くことが自然ではないか。また、その事故のシーンを想像したりして悪寒が走ったりするはずである。ポートレートごときが、そんなドラマチックな感情を呼び起こすと思うこと自体、思い上がりと言われるかもしれないが、その壁が越えられるかどうかが、ポートレートの将来を考える上で重要なことではないだろうか。
逆に、グラビア界の黒船の柳の下のドジョウではないが、ルックス至上主義で世界中から集めたもので、ますます中身の無い世界を確立するのか・・・そういえば、強いだけの横綱でエライことになってしまった業界もあるな。

また、こんなことも話されていた。仕事での撮影となると、ヘアメイクやスタイリストがくっ付いて来て、もうそれだけで、そのモデルそのものでは無くなると。ネクタイひとつにしても、それを変えて欲しいと言った時点でその本人ではなくなってしまうとも。
私がまなちゃんと二人でやってきた『素顔のままで』は、彼女そのものを表現したくて始めたものだったが、浅井カメラマンが危惧する要素を出来るだけ削ぎ落としたわけで、それが私の撮影スタイルのベースとなっている。そして、それが崩される仕事がらみの現場で感じていたフラストレーションを同じように、あれだけ成功したカメラマンが感じているのである。

最近のTVはつまらなくなったとの声をよく聞く。特にドラマとバラエティーに対しての反発が多いようだ。
ひとつは、うるさいだけのお笑い芸人を、ぞくぞくと日替わりメニューのように出すことで、その日暮らし的に視聴率を稼いでいるだけに思う。
ドラマについては、アニメが悪いとは言わないが似たり寄ったりの脚本で、しっかりした原作もない状態に加え、主役はジャニーズと、アイドル女優を順繰りに出しているだけ。そんなんでは、なかなか心の奥底が揺さぶられることが無くて当然。だいたい、そんなドラマを観ると、CMにも同じ人が出ていたりする。台詞がある動くグラビアにしか感じられなくて、近年は連続ドラマを最初から最後まで楽しみに観た記憶がない。そんな時間があれば“24”のDVDでもレンタルしてきた方がましだ。

だから、写真で何かを感じろなんて言うことが無駄に思えてくるのである。そんな世の中に対して70歳になる浅井慎平カメラマンは、ポートレートを撮る意欲が無くなったと嘆いていたのではなかろうか。
鑑賞者の堕落を嘆き成長を期待するか、提供者が低俗なレベルに媚びるか。いや、やっぱりカメラマンとモデルの質を上げていくしかないんだろうな。


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