どこまで信頼されるか


D300の購入時に色々とデジタル一眼を検討していたわけだ。デジ物は値下がりを待つのも手ではあったのだが、私は次期モデル発売直前まで待つような馬鹿な真似はしない。新しい機種こそ旬なのがデジモノでもあるわけだし、購入の時期は決まっていたのである。それは、Wedding撮影の予定が控えていたからだ。
普通、私はそういう撮影は基本的には行なわないが、今回だけはそういうわけにはいかない相手だったのである。そう、その相手こそまなちゃんなのである。そして彼女を射止めたのが私ではないのは、当然のことである。

まなちゃんと知り合って、ちょうど10年目にあたる今年であったが、二次会では9年前の同じ2月に京都の嵐山で撮影した時に着た着物姿でまなちゃんは現れた。
あの時も朝から雪が降る寒い日であったが、同じくこの日も時より雪が激しく降る日であった。そんなことを想いながら久しぶりに見るまなちゃんの着物姿を見ていた私である。
親族だけの式にも出て欲しいと言われたが、さすがにそれは遠慮させていただいた。一応ブライダル専門のカメラマンも頼んであったらしいから、私は二次会の方だけにさせてもらった。

若い女の子をモデルにして撮影するポートレートだが、いつかこんな日がやってくるのは当然であるし、その時は祝福してあげたいものである。
気の利いたプレゼントが出来るわけじゃないから、写真を撮ってあげるのが私らしい贈り物になるだろう。
まなちゃんは、私との撮影をオープンにしてくれていたので、私としてもカメラを持って二次会に出やすかったわけだが、このような頼まれごとをされるような関係であれたことが、でいい作品を残すのには大切なことなのではないだろうか。

ポートレートは信頼されるカメラマンになれるかどうかが大きなポイントであると言えよう。その信頼という二文字中は多くの要素を含んでいる。「撮影技術が優れている」これは当たり前のことである。あの人は巧いけど気持ち悪いと思われてしまいそうな人が多いのは事実だ。または、危険な香りを感じさせるのも、かなりマイナスであり、クルマの助手席に乗ってロケに行くのは恐いと思われてしまいかねない。気持ち悪いは我慢できなくはないが、セクハラはどうしようもない。現実にそういう輩の被害はよく耳にする。

次は、巧いけど自分のプラスにならないと思われてしまうと、そのイメージを払拭するのはなかなか難しい。
私のように、プロのモデルやそれを目指している女の子との撮影が多い場合、キレイに巧く撮ってあげるだけでは、なかなか満足を与えたとは言えないのである。
プロであれば、自分のモデルとしての幅を広げたいと思っていたり、仕事では出来ない冒険もしてみたいもの。卵なら、とにかく自信をつけたいと思っている。そして共通して言えることは、その日の撮影で最低一枚はコンポジなりに加えられる一枚が欲しいわけだ。
特に、経験の浅いモデルはバックがキレイで写真として美しいものを喜び好んでくれるが、それを一緒に共感して喜んであげることも大事だが、そういう写真がプロのモデルとして、今後の仕事に結びつくわけではないことも、伝えなければならない。お人形のように同じ顔して写っていても仕方が無いのである。
いざ、自分をアピールしなかればならない時に、どれだけ自分の魅力を幅広く見せれるセレクトが出来るかだが、服やバックは違えど、どれも同じ顔だったなんてことになる。

撮影抜きで会ってお酒を呑みながら近況を聞いたりすることも時々あるが、そういう時はファンのカメラマンさんが撮ってくれた写真だと言って見せてくれることが多い。確かにファンであるだけにキレイに撮ってある。さぞかしいいレンズを奮発したのだろうことも推測できる立派な作品となっている。しかし、キレイなポートレートがいい写真、またはそのモデルの魅力を写し出せているかと言えば、答えはNOである。だからといって、他のカメラマンの作品をけなすようなことは絶対にしない。ただ、自分が撮る時のイメージを再確認するだけである。
自分が求めている写真を撮ってくれる、さらに予想を超えて新しい自分を見つけさせてくれるカメラマンこそが、信頼されるカメラマンに最終的になれるのである。
それは、高級な機材を使ってくれたり、経費をかけてくれるカメラマンではなく、引き出しが多くて空気の作れるカメラマンである。
自分自身の作品としての写真と、モデルのプラスになる写真は似て非なるものであり、それを両立できれば言うことなしだろうが、まずは、モデルが喜ぶ写真を撮ることを心掛けることで次の撮影に繋がるし、雰囲気はどんどんよくなって行くものである。そうなれば、結果はおのずとついて来るものだ。


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