シュールな写真って?


よく意味もあまり分からずに「シュールだねぇ」なんてことを言ったりする。そもそも、シュールってのは、フランス語らしい。シュルレアリスムの略で主に芸術の分野における「超現実主義」という意味だってことは常識なのだろうか?ってことは、非現実的ってことになるわけかい?私はリアリティーのあるポートレートを撮りたいと思っているが、それはシュールな写真ってことにはなり得ないのだろうか。

モデルをオブジェ的に扱い、手の込んだ撮影をして、それが幻想的だったらシュールな写真と言われるってことなのか。私はどちらかといえば、自分勝手にシュールってフレーズを好意的に解釈していたのだが、単純にその語源を考えれば、私の考えと相反する位置にあるってことになりそうだ。
しかし待てよ、ナチュラルな表情を引き出すことはポートレートでは、かなり高度な領域だと思っている私としては、安易に見せかけの芸術的撮影にシュールな写真という評価を持って行ってもらいたくないと思ってしまう。
撮影会でばかり撮っているカメラマンや、モデルを被写体としてしか見ていないカメラマンにとって、作り笑いや商品的な決まりきった表情こそが日常の現実であって、気持ちの底から溢れ出した表情を得ることの方が、現実を超えたシュールな世界ってことになるのではないだろうか。

日曜日の午後は、久しぶりにポートアイランドの北公園でポートレートの撮影を行なった。午前中は快晴で、午後になってから薄曇りとなり光線的には丁度よかったが、天気の変わり目であるのと海が目の前ということで風がかなり強く吹き出した。重いGITZOの三脚に固定した1mオーバーの丸レフが三脚もろともひっくり返ることもしばしばであった。しかし、この北公園は真夏でも風が吹いて涼しく撮れる場所であり、私はかなり気に入っているのである。髪が風になびいてしまうが、そんなことは余り気にせずに撮るのが、ここで撮影する時のコツでもある。

撮影に不慣れなモデルであったが、30分ほど経ってくると、かなり柔らかいいい表情が出てくるようになった。そうなるとD300もシャッター刻む量が増えてくるのだが、この日のように風が強かったり、周りの音が大きかったりする時でも、D300のシャッター音はかなり有効に響き渡ってくれる。キヤノンの40Dなんかの、気の抜けた音に比べると、モデルの気分のノリがまったく違ってくることになる。
実際にシャッターを連続で切った時に、そのモデルが嬉しそうな笑みを浮かべたのを私は見たが、元々モデル経験がない女性だっただけに、少し自信がついた瞬間だったのだろう。
私としては、こんな風に身体で自信を感じる瞬間を、一日一度は経験させてあげることを、ひとつの目標としているところもあるのだ。
それは、素人モデルでもプロのモデルでも同じである。素人モデルであればすべてが初めての経験であるが、プロが相手の場合、他のカメラマンとの間で何度も経験してきたような撮影をなぞっていても仕方の無いことで、新しい何かを経験させてあげたいと思っている。そして、それがモデルにとってはシュールな体験になるのだから。
撮影者が自己満足で凝った撮影をしても、それに付き合ってじっとしているモデルの身になると、実につまらない撮影となるのである。

その日は、まず一緒に買い物に行き、黒毛和牛のランチを食べてからの撮影であった。北公園の駐車場でその日買った服に着替えて撮影したが、そういうウキウキ感も大切な要素になってくる。
女の子にとっては、ネイルひとつでも変化気分の盛り上がりが違うので、表情を重要視する私であるが、そういう部分はないがしろにしないように心掛けているのである。


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