結果がすべてと言うけれど


デジタル一眼を買おうと決めた去年の末あたりから、情報収集が目的でカメラ関係の掲示板を見だしたが、最近は書き込みの内容よりも、個性的な常連さんたちの持論が興味深かったり、意見がぶつかってヒートアップしてるのが面白かったりで、ちょくちょく覗いている。
私など足元にも及ばないほど博学の人が多くて驚きつつ、斜め読みながら参考にさせてもらうことも時々あるが、ほとんどが、どうでもいい細かい数値や専門用語を並べていて、もう少し誰にでも分かるように説明できる人が本当に頭がいいんだろうなーなんて思ってしまう。難解な説明をする方が賢く見えると思っているのか、誰かがちょっと突っ込むと、さらに難解な理論で畳み掛け、反論出来ない部分はスルーするというやり方は、そういう人種の特徴のようである。また、それにカチンと来る人も多いから面白いのだ。

最近、そういう人種が延々と技術書ばりの理論を展開して、ライバルをやり込めようとしていたところに、誰かが「写真は理論ではなくて感性」と頭でっかちを批判する書き込みをぽろっと書いた途端に、自ら頭でっかちを証明するかのような長文の大反論をして、またそれに対して、他の誰かがちょこっと、小馬鹿にするようなことを書いていた。もちろん、私は感性派であるが、興味深く彼らの対決を見させてもらうことにする。

だいたい、理論優先の左脳人間は文章力も優れているようで、さらに難しい文献を書き写したような長文を書くことも苦にならないのだろう。その点、感覚的な右脳人間は、掲示板のような場で左脳人間とやりあっても勝ち目は無いどころか、邪魔臭くなってしまう。それで少しでもいい加減なことを書こうものなら、待ってましたとばかり揚げ足を取りにくるのが左脳人間である。だから、理論最優先の人種を刺激するのはほどほどにしておかないと、疲れるだけだ。私も昔、東大生で撮影会主宰者に嫌われているカメラマンを相手にしたことがあるが、疲れるのなんのって。そういうこともあって、BBSは現在休業しているのである。また、流行のブログなんかやってられないので、ここで一方的に好きに書かせてもらっている。言いたいことがあれば、ちゃんと匿名ではなくメールでもくれればいいことだ。

私も、論理より感性が上位に来ると思っているが、脳裏に浮かんだイメージを現実に写真にするには、それなりの技術的知識とテクニックが必要になる。しかし、コンマ何ミリの被写界深度の数字などまったく必要のないことで、それを知っていると自慢されても、よっぽどの暇人だとしか思えないのである。円周率を100桁知ってても、3.14どころか3で計算しても大差ないのと同じことだ。うがった見方をすれば、その分野でしか自分を表現できない淋しいカメラマンなんじゃないだろうか。

右脳人間は、論理を事細かく覚えるのは苦手だ。だが、感性の乏しい人が感性豊かになろうと思っても同じように難しい。感受性は年齢と共に衰退していくが、感性はある程度鍛えられるとは思う。しかし、センスの無い人はいつまでたっても同じであるように感じる。
どうしても感性優先派の肩を持ってしまう私であるから、こんな風に思うのである。いい写真だと第三者が感じて、部屋に飾りたいと思ったり、この作品ならお金を払う価値があると判断する場合、レンズの焦点距離やデジタル的な解像度とかの数値の部分に心を打たれるのだろうか?もちろん少しは関係するだろうが、そんなのはちっぽけなものである。少なくとも細かな数字などまったく意味を持たないのは確かである。多少、知っておいた方が有利なのは構図の基本と、絞りとボケの関係ぐらいか。

早い話、結果がすべてということだが、まぐれで最高の傑作が撮れたのも結果には違いないが、同じようなのをまた撮ってくれと言われて、再現するには知識と技術が必要だから、感性だけでは写真を職業にすることは難しいのだろう。まぁ、プロでやっていくには、それもフリーだと写真のことだけ考えていられないのである。
感性や知識とか言っていても仕事は来ないし、あってもそれが自分の撮りたいものであることは少ない。また、その仕事を持ってくる業界の人間も一筋縄ではいかない人が多い。また、仕事を請けるとヘアメイクさんとかスタッフのこともあるし、当然ながらギャラ交渉もあって、それだけでけっこう疲れてしまうのである。過去に、ギャラの話になった時に、どこの誰それとかってカメラマンの実名とギャラの金額を何人分もメールで書いて寄こしたクライアントがいた。先方は参考までにという気持ちだったのだろうが、こんな個人的なことを初仕事の相手にメールに書いて送りつけるとは、どういう神経だろうと思ったことがきっかけで、90%決まっていた仕事をキャンセルしたこともあった。そんなこともあって、趣味の世界であれば、好きな写真やカメラに対する楽しみ方のアプローチは人それぞれだろうが、目いっぱい楽しめばいいのだ。たとえ、それが性能追求であったとしても。


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