何でも便利じゃつまらない
今月から年末にかけて、かなり忙しくなりそうだ。週末にゆっくり休める日がほとんど無い状態でうんざりしてしまう。
D300を触る機会もぐっと減ったし、クルマをイジリ倒す時間も元気も無い。特にこの一週間は腰が痛くて、エンジンルームを覗き込むことがかなり辛い状況である。
腰をかがめるのがしんどいならと、下に潜って作業をしたのと、車内を少し触った程度である。
D300は相変わらず犬の散歩の時に持ち出しているが、そろそろ紅葉の季節が近づいていることを感じる。イチョウの葉はすでに黄色く色付いているが、本格的な紅葉はこれからである。今年も異常気象が相次いだが、紅葉はどうだろう?
せっかく、快適ロケ車を購入したというのに、まなちゃんとの撮影が今年中に実現できるのか微妙になってきた。
せっせと時間があればロケハンは行なっているが、暑さが残っている時期用にとチェックしていた場所は、諦めざるを得ないかな。
クルマを買い換えてからは、どうしても時間があると何かとパーツを付け替えたり、ドライブに出かけてしまう私である。そんなことを永年やってきた私であるが、工具類を散乱させてボンネットを開けているのを見て、近所の人はまた病気が始まったと思っていることだろう。
それにしても、年々クルマのエンジンルームはぎっしりと詰まってきて、ホーンを付け替えるだけでもスペースが無くて一苦労させられる。プラグ1本替えるのもすんなりとは行かない。
私がクルマに乗り始めた頃は、スカスカのエンジンルームだったので何をするにも簡単であったが、それはカメラも同じである。
何でもかんでもハイテク機能を詰め込んでいるのが、最近の道具たちである。
クルマならABS、トラクションコントロールなどの安全装備が充実し、カメラはAFは当たり前、AEどころかISO感度までオートで切り替わってしまうのだから、一昔前では考えられなかったことで、確実にリスクを軽減してくれる道具たちであり、心強い相棒だ。
本来なら、自分で何とかしなければならない部分を機械が親切に補ってくれているが、今はそれを何とも感じない時代である。
しかし、撮影の場合は被写体との間合いは機械が助けてくれない。ポートレートでは、いくらハイテクカメラを使ってもいい作品が撮れるとは思えない。失敗の数が減るだけで、いい表情を引き出してそれを捉えるのはカメラマンの力だけである。
運転だって同じである、ハイテクマシンに乗っているからと、自制心を失ってしまえば、限界点が高くなっているだけに、それを超えてコントロール不能になった時はあの世行きになる可能性が高い。
どっちも、機械を操る側のセンスを発揮できる余地をメーカーが残してくれているとも言えるが、近頃その領域まで機械が進出してきている場合がある。
しかし、それを歓迎するユーザーもいるわけで、笑顔になったことをカメラが判断してくれるなんてのは、その最たるものである。
旅客機なんかは、操縦する楽しみより安全が第一であるから、100%完璧な操縦が出来るパイロットがいないことに対して自動操縦なるものが存在する。
しかし、クルマだってそのうち同じようなのが出てくる予感はある。実際に、前方の歩行者をカメラが見つけてくれる機能は存在しているから、ナビに行き先を告げると勝手に連れて行ってくれるようになる日もそう遠くはないだろう。
とは言っても、感性を刺激する表情を引き出し、その一瞬を逃さないカメラは作れないと信じているが甘いかな。