いい買い物だったかな
とうとう、PCが壊れた。調子悪いまま2年近く我慢して騙しだまし使っていたが、ついに立ち上がらない状態にまで落ちぶれてしまった。
一度、落ちだすと数時間放置しておかないとダメだということもなんとなく分かってきたが、重い作業をさせると必ず落ちることは確実なようだ。
今回の不調の前兆は突然CDドライブが認識されないことからはじまり、WALKMANにCDから取り込むときに発覚したわけだ。どこで、一度セーフモードでの再起動をしようとしたのだが、それ以来起動の途中で電源が落ちてしまうようになってしまった。
ここまでくれば諦めもつくので、新しいのに買い換えることにした。もう少し我慢して今回はモニターだけ大画面のものに換えようと思っていたが、それどころではなくなったわけである。
まぁ、修理に出してもいいのであるが、元々かなり力不足のPCで、今どきPentium4ではRAW現像がかなりキツかったこともあって、修理しても先は長くないと判断し、最新のCPUを搭載したマシンに換えることにした。
最近はPCの値段も下がっているし、そこそこの金額を出せばかなり高性能なものが買える。ちょうどWindows 7になったタイミングでよかった。Vistaの時代だったらXPでいくか迷ったことだろう。
年賀状も印刷し終わっていたし、自宅でするべき課題も終わったばっかりのタイミングであり、不幸中の幸いってところだろうか。
ただ、古いPCが立ち上がらないとなると、新しいPCへの移行が大変かもしれないが、徐々に行っていくことにする。
デジタル画像の現像もCapture NX 2をイライラしながら使っていたが、それからも開放されることであろう。
ただ、XPまで使い慣れたソフトが動作しないような情報があり、それが今後の課題である。
すべてを最新のソフトに切り替えるとなると、とんでもないことになる。
とりあえず、Photoshop CS3も動いたことだし一安心である。
ただ、突然の出来事で予定が狂ってしまったのは間違いのないことで、レカロのシートをもっとサポート性の高いモデルに換えようと思っていただけに、予想外の痛い出費となってしまった。
今はスーパーVR−4純正のレカロなのだが、これはレカロの中でもかなりコンフォート寄りなタイプである。言い換えれば、コーナーリング時にしっかり身体を支えてくれるとはお世辞にも言い難い。
それで、これを助手席にもっていく予定である。その為には、助手席側のシートレールも買わないといけない。
もちろん、運転席側もローポジションのシートレールを発注である。シートレールは同じレカロでもタイプによって微妙に使いまわし出来ないのである。
今回はかなりサポート性の高いモデルなので、コーナーでの運転が楽になった。それに追加して、エアー・ランバーサポートなるものも買った。これはレカロのシートの背もたれの中に挟みこんで、ブロワーのようなラグビーボール風のポンプで、エアーを調節することで腰から背中にかけての具合が調節できるというシロモノである。それが、また具合がかなりよろしいのである。
運転が楽になったと一言で片付けても、イメージが沸かないだろうからもう少し詳しく書いてみよう。コーナーリングで横Gがかかった時に、これまでは腰はある程度安定していたが、肩が左右にブレていたので、ステアリング操作がかなり犠牲になっていたわけだ。そこで今回は肩を固定したことで、結果を言えばこれまでと同じステアリング操作をしているつもりなのに、それ以上にクイックにコーナーが楽に曲がれるようになった。クルマの性能が上がったような錯覚を起こしそうなぐらいである。それは今まで肩が左右に振られることで、ステアリングまでの距離が遠くなり、ステアリングを回しているつもりが回しきれていなかったということである。遠くなった分を補っていた労力がすべて舵を切ることに使えるようになったということである。
他にも、上体が動くのをステアリングにつかまって支えたり、腕を突っ張って背中をシートに押さえつけていたが、それが無くなったことで、腕の力をすべてステアリング操作にあてられるわけだ。これで六甲などのワインディングが続いても腕が張ることはなくなるであろう。
ホールド性の高いシートに換えることで、単に身体が暴れないだけではなく、運転が楽で確実になることが理解していだだけたであろうか? 一度、レカロを使えば戻れなくなるとよく言われるのは私は身をもって感じている。
確かに、多少は乗り降りが窮屈になるが、安全で疲れないのは間違いがない。いすゞが普通車を製造していた時代だからかなり前になるが、トラックが主流のメーカーだから職業ドライバーからの声を反映してだと私は思っているが、位置早く純正でレカロを装着していたが、私も初レカロはピアッツア・イルムシャーのレカロであった。
パソコンもレカロも決して安くない買い物であったが、無駄遣いをしたわけではないので、良しとしよう。