日常と非日常


これまた、難解なテーマである。
しかし、これはポートレートをはじめ人物写真では印象がガラっと変わってしまうのである。
私は、ポートレートを撮る場合バックには美しい風景か整然としたものを配する場合が多い。
それは、主役であるモデルを際立たせるためである。
しかし、スタジオのように単色のバックとは明らかに異なって、画面の雰囲気を大きく左右
する重要な役目を持っている。

しかし、バックが状況を語りかけてくるようなものであると、それにモデルのポーズや表情
を合わさないといけなくなってくる。
例えば桜が咲いていて、それを見に来た観光客がバックに写り込んでいた場合に、もの悲し
げに、もの想いにふけるポーズをしてもおかしい。
そこでは、もっと晴れやかなポーズで、サンドウィッチでも入ったバスケットでも持っても
らいたいものだ。

しかし、大都会の雑踏の中にぽつんとモデルを立たせ、望遠レンズの浅い被写界深度でモデ
ルを浮き上がらせるような撮影では、バックや前ボケにあたる人々は草木と同じ扱いでも良
いようにも思うのである。

さらに、モデルにドレッサーの前に座ってもらい鏡を見つめてもらうようなシチュエーショ
ンである場合、そこに大きな窓から陽が射していればポートレートとして女性の美を健康的
に表現しやすいのであるが、日が暮れて傍らのスタンドからのタングステンの灯かりに照ら
されてみると、昼間とはまったく違う印象になるはずである。
ここでは夜が日常で昼間が非日常になるのかもしれない。

それがNUDEであったとしたら、日常感の強い部屋の灯かりで撮影した方が絶対に、エロ
チックに感じるはずである。
更に、ショウでモデルが身に付けているような、きらびやかな下着よりも、普段身に付ける、
ベーシックな下着の方が絶対にエロチック感は増すのである。
結局、日常と非日常では日常の方がエッチなのだ。

もう一つ例をあげると、バスルームでの撮影でバスタブしか写っていなければ、女性の美の
みを表現しやすいが、バックの片隅に日本のメーカーのシャンプーの容器でも写っていよう
ものなら、まったく違った方向に行ってしまうのである。

ここ、Joe's galleryではNUDEは一枚も展示していないが、日常と、非日常
を説明するには、NUDEを題材にするのが分かりやすいのである。

さて、話題をポートレートに戻そう。
今まで、私は非日常の世界で撮ったポートレートが多い。しかし、今後はもう少し日常をか
らめた表現にも挑戦してみたいと思っている。
それは、ほんの少しでもいいのである。写っているモデルの真実の内面が見え隠れするよう
な写真が撮れればと思うのである。
無理矢理ヤラセの日常では、ダメなのである。

普通は撮影前にアクセサリーははずしてもらう場合が多いのであるが、モデルが左手の薬指
に指輪をしていたら取ってもらうことをせずに、逆にその指輪を右手でいじってもらう。
日常的にそんな姿ってよく見かけるではないか。でもポートレートではタブーとされていた
ポーズかもしれない。
当然自然に右手が動いた瞬間が最高なのだろうが、何か定番のポートレートとは違うものが
撮れそうな気がする。
そういうカットが一枚加わるだけで、ぐっと幅が出てくるような気がおぼろげであるがして
いるのである。


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