二種類のポートレート


私の撮るポートレートにはバストショットが多い。もしくはウエストショットよりアップが半数以
上ではないだろうか? その答えは簡単である。顔がよく分かるからであり、その表情に何かを感じ
てシャッターを押したからである。

であるから、私はファインダー越しにモデルの表情を追い続けるスタイルを取っている。そこが風
景写真と完全に違う所である。私は元々風景写真を永く撮っていたのだが、今でも風景を撮る時は
カメラを構えず、うろうろとベストな角度や距離を探す事が多い。その後ファインダーで確認して
パシャリとやるわけだ。

一方ポートレートに関しては、肉眼でいい表情を確認してからカメラを構えファインダーで構図を
整えピントを合わせて撮るのではない。そんなにもたもたしていても撮れるような表情は、完全に
動きの無い仮面のようなものであり、そのモデルに撮らされているだけである。

ポートレートを撮り出して間もないころは、撮影会などに行ってプロのモデルが見せる商業的な、
表情を撮って満足しているのだが、いつか何かが足りない事に気がつくであろう。気がつかない人
は撮影技術の精進だけにでも励めばいい。

確かに、上手いモデルの作る表情は、彼女が一番美しく見える顔であろう。しかし誰もがその表情
を同じような位置から撮れば代わり映えのしない駄作となるのではないだろうか?
そこで一歩抜きに出ようと思えば、高価な大口径レンズを使ったり、露出や光のコントロールを駆
使して、さらにはフィルターやフィルムの使い分けで差を付けることになる。
しかし、それってブツ撮りと同じではないだろうか?? 商品撮影と同じってことね。
せっかく生身の人間がカメラの前にいるのに、一番大切なモノを忘れちゃいねーか?ってことだ。

私は一般にモデル募集を一切しない。モデルになりたいと言ってくる場合もあるが、基本的には全
てお断りしているのである。
それは、ブツ撮りポートレートを撮りたくないからである。
モデルをしてもらう女の子はすべて、その子を撮りたいと私が思ったからであり、誰でもいいから
ブツとして撮るなんて、まっぴらである。
そんな暇があれば、お気に入りのモデルの次回作の構想を練っている方がいい。

最近その傾向が顕著であり、“打てば響く"ようなモデルを撮る事が楽しいのだ。
モデルの女の子だって、いつもいつも得意の表情で押し通せる訳ではない。もし、いたら恐いで!
だからといって、意味もなくお決まりのポーズや表情をローテーションで繰り出されても限界って
ものがあり、こっちとしても面白くも何ともない。
だったら、どうすりゃ納得するのか?って言われそうだが、モデルとお互い何かを感じ合えるよう
にしたいものだ。そうすれば仕上がった写真も生きてくるのではないか。見る側も何かを感じるの
ではなかろうか?

確かに、ロケーションを決め、光を計算し、フレーミングとレンズを決め、そこに測ったようにモ
デルを立たせて撮れば確かに写真としての完成度は高くなる。
また、そんな写真は一見すごく上手く見えてしまう。特に素人の方達をウーンと感心させてしまう
であろう。だが、そんな写真はじっくり時間をかければそれほど難しいものではない。今の最新の
高性能カメラを使えばミスもないし、ライティングだってお金をかければいい光が創れる。
それに、ただそれだけの写真は見てて飽きる。

しかし、沸き上がるようないい表情を撮るのはそう簡単なものじゃない。現場でモデルを立たせて、
ああでもないこうでもない、なーんて悩もうものなら、モデルは退屈しきってしまうだろう。
フィルムやレンズの交換で生じるロスさえ惜しくなるような、テンションをモデルとの間に保つこ
とができれば成功かもしれない。
しかし、これは恋人同士であれば出来るんじゃないかと思うかもしれないが、それがそうでもない
のである。実際自分の彼女でやってみて欲しい、多分出来ないはずだ。出来たとしても、写真とし
ての完成度を保つことなど不可能に近いんじゃないかな?

また、先に挙げたようにカタチにこだわるカメラマンはそこで、「こっちを睨んで」とか、「セク
シーな表情して」とかとんちんかんな要求をするんだろうね。とんでもない勘違いだと思うんです。
余計な言葉なんか必要ない空気感が作れればそれで充分なんですけどね。
撮ってる時は、モデルの女の子をすごく好きになるし、優しい気持ちになってる。「いい写真撮る
んだから、少々無理な体勢でも我慢しろ」なんてことは私は絶対に思えない。我慢してポーズを取
ってくれるのが見ていて辛い場合も多いのだ。モデルは決まって「大丈夫!」って言ってくれるが。
お互いを信頼し合い、気分が盛り上がって感性がピタッと一致した時はいい気分で撮れる。

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