モデルあってのポートレート
ポートレートを撮るにはモデルが必要で、当然のことだがモデルによって撮影内容は違ってくる。
急遽モデルが変わったりすると困ってしまうのだが、撮影できない訳ではない。しかし、これが初
対面のモデルであったりすると、私の引き出しの中にあるシチュエーションから、無難なやつを引
っ張り出してくることとなり、実際の撮影で様子を見ながら、そのモデルの色を出しにかかる。
結局、誰を撮るにしても、そのモデルのカラーを出したいと考えるわけである。
まなちゃんの場合は、その色のバリエーションを広げる段階に来ているっちゅーことだが、いった
い君は何色持ってるの?ってとこか。
初対面のモデルの場合、モデル経験のある無しにかかわらず、いきなり撮影に入ることは避けたい
のである。特にモデル経験のある女の子の場合は特にそう感じる。
これについては、“…?”って感じだろうが、まぁ次を読んで頂きたい。
素人の場合は、言葉は悪いが騙されることもないのだから。
私がまなちゃんを最初に撮った時は、ろくに話しをすることもなく、即撮影となったわけで、いき
なり打ちのめされてしまい、結局はまなちゃんのペースで終始したような気がするのである。
と言うのも、私なりにイメージを組み立ててポーズを付けたり、ライティングを考えたりもしたわ
けで、その時は自分なりの撮影は出来ていたと思っていたが、今になって思えば、完全にまなちゃ
んの創り上げたイメージの中で、小細工していただけに過ぎなかったのである。
私のカラーは出したつもりであり、まなちゃんもそれを気に入ってくれていたとは思うが・・・
その後、親しく話しをするようになり、彼女本来の姿を見るに付け、つくづくそう思うのだ。
今、そんな想いをぶつけているのが『素顔のままで』なのである。
しかし、そのモデルの得意なパターンってあるわけで、それを崩しにかかることは決していいこと
だとは思っていない。まなちゃんのように長期的に撮る場合も例外ではない。
そのモデルの得意とする表情やポーズを尊重してやることが大前提で、そのモデルという仮面を取
り去った部分を引き出すというより、出させてあげたいと思うのである。
また、出しやすい状況を作るためにも、撮影以外での時間はすごく重要であると思うのだがどうだ
ろう。
決められた時間の中で、目いっぱい撮影にかけるか、その1/3でもそのような時間に費やすかは
悩むところだが、私は出来るだけ後者を選びたい。
だから、再三ここでも書いているが、私は頼まれない限り、気にいったモデルしか撮りたくないの
である。それは、今書いたような作業が気分良く出来ないからに他ならない。
こんな風に書くと、すごいスケベ野郎のように受け取られるかもしれないが、タテマエ論は書かな
い主義だし、下手なきれい事で誤魔化すような言い訳なんぞしないのだ。
モデルあってのポートレートであり、好きで撮っているわけだから、当然ながら好きなタイプの女
の子にモデルになって欲しいという気持ちが、特に私は強い。
これは、撮影会に参加して、その時に来ていたモデルを撮るのと、個人撮影では大きく変わって当
然である。
撮影会でのモデルは公共物(表現が悪いがお許しを)であるが、個人撮影では占有できるのだから
自分の好きなように撮れるが、ここが生死の分かれ目でもある。
その時の出来はすべて自分に責任があると言う事だ。私のように自分が好きで選んだモデルであれ
ばなおさらである。
「モデルが素人だから・・・なんて言い分は通用しないのであり、自分こそ素人であると自ら白状
したようなものだ。
そこが、風景写真と決定的に違うところなのである。素晴らしいカメラアイと感性、そして卓越し
たカメラの操作技術と知識があっても、ポートレートは撮れないのである。それだけで撮れたとし
ても、それはモデルの女の子がイケてただけなのかもしれない。