風景からポートレートへ 其の2


今まで、公開していなかった風景写真を少しずつ公開するとともに、私の写真に対してのスタンス
も少しは披露できたかもしれない。
私は解説書で述べられているセオリーを無視する気はないし、分かっているつもりである。
しかし、何から何までそれに従うなんてことはまっぴらで、分かっていながら背いている部分が多
いのだ。

私がシャッターを押す場合、その前には必ず仕上がりのイメージがあるわけで、そのイメージの世
界は絞り開放に近いようだ。当然絞り込んだ状態で奥までスッキリと鮮明に見える場合もあるが、
大体は、主役がメインで浮き上がって見えるのである。だから、さらっと見渡した状態ではなく、
目を凝らして見つめたような感じである。だから、撮る場合も自然と絞りは開け気味になる。
どちらかと言えば、マクロ撮影に近いかもしれない。
と言うことで、私は浮かんだイメージに近づけることを考えて撮るので、この段階にくると一般的
なセオリーはぜんぜん関係がなくなるのである。
それは、もちろん被写界深度の操作のための絞り設定だけではなく、露出についても言えることで
そのイメージに沿ったトーンが出せるように補正をかけるか、スポット測光の測光場所を変える。

ポートレートの場合は、+1・1/3EVと言う補正値を基準にしており、それに対して明るめに
するのか、暗く落とすのかを調整する。
風景に関しては、補正はせず、測光する場所によっての露出コントロールということになり、カメ
ラ側で補正値をいじることは少ない。それらはほとんど全てが一番、私の目を引いて主役にしたい
と感じた部分をイメージ通り仕上げることを念頭に置いた露出であり、他とのバランスで後で変え
ることはほとんどない。
であるから、EOS−3で復活したマルチスポット測光に関しては、私には要らない機能とも言え
る。それはあちこち測ったところで、主役の露出を変えるつもりはないのであるから。
私としては、最初に決めた露出でAEロックし、気になる部分を測光インジケータで確認する程度
である。その結果イメージとかけ離れた露出を示した部分に対して、それを救済すべく露出の修正
をすることはしないのである。そんな脇役のせいで主役のために決めた露出を崩すことは出来ない
ので、極端な場合はフレームアウトさせてしまう。そう邪魔物は消せ≠フ理論だ。

なんか、つまらん話になってしまったようなので、話題を変えよう。
日曜は六甲に久しぶりにドライブを兼ねてロケハンに行って来た。
まずは、走り屋のメッカである再度(ふたたび)ドライブウェーを登り、夏になればアベックが集ま
るビーナスブリッジの近くにクルマを停めてぶらぶらし、次はそのまま一気に修法ケ原へ、そこの
池にはびっしりと分厚い氷が張っており、大きな石を投げてもびくともしない。

次に目指すは六甲牧場を超え、人工スキー場脇を通って山頂付近。六甲牧場の芝にはうっすらと雪
が残り、放牧されている羊たちの姿もなかった。この辺りから、所々で残雪が見え出し、路面もア
イスバーンの様相になってきた。行き交うクルマの数も少なく、前を走るクルマ達はみんな路肩に
寄って道を譲る。冬の六甲もなかなかいいものである。昔はここでよく無茶をしたものだったと、
思い出しながら快適なドライブとなり、芦有道路を下ることにした。
使えそうなポイントは見つけたが、ちょっと広すぎてどう料理するかまとめなければいけない。

話はバンバン飛ぶが、私は花畑や桜満開時期、紅葉真っ盛りって時に、モデルと絡めて撮ったこと
は数少ない。それは風景としては主役たる桜の花や紅葉を脇役に回すのが心苦しいからである。
花や紅葉をバックにしようとて、ポートレートの場合は完全に主役は女の子であるから、美しいバ
ックを脇役として扱うことになる。そんな状況でも私は絞り込んで両方収めようとは絶対にしない
のだが、少し絞って・・・と考えてしまう自分がいやになるのだ。
その少し≠フ考えがどうも中途半端で嫌いなのである。
だから、その辺のイメージを完全に描けるようになり、それに応じたレンズの選択、モデルとバッ
クの位置や距離等など色々な要素が絡み合うが、それが見えない限り、気が進まない撮り方になっ
てしまいそうなのである。

そうそう、まなちゃんにもカメラの操作や基本的な事を、少しずつ教えてあげないといけない。
まなちゃんにNew EOS Kissをあげた時に、何種類ものストラップを見せてどれにするか
決めてもらったが、その中からまなちゃんが選んだのは、赤いのではなくEOS−1N専用のシッ
クで細身のやつだった。私もそれを選びそうな気はしていたのだが、やっぱり一番いいのを選びよ
ったナ。

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