男が撮るポートレートって?


“メッセージ発信基地になりたい”ということを以前書いたが、少しでもそれについて反応してく
れる方がいることは嬉しい。写真の感想メールではなく、私の撮影スタンスに共感してくれる方達
からのメッセージを受け取ることが多くなった。
それは、いくら撮影雑記で書いても文字だけでは表せないが、まなちゃんという協力者がいたこと
で、カタチとして残せたからであるのは言うまでも無い。

確かに私のモデルに対する想いが間違って伝わるケースは多い。実際に不本意な思い込みをされた
ことも数多いのである。私は私なりの尺度でやっているが、それは私個人の考え方であって、一般
大衆に対して通用するわけではないと分かってはいたが、理解者であると思っていてもがっかりさ
せられることもあった。

Joeさんはこうだけど、俺はこう思うとかは、私のことを分かってくれているのであるが、一方
的に自分の尺度で考えてしまわれることが多いのだ。それを後で聞かされて愕然とするケースもあ
ったわけ。

ポートレートを実際に撮っている人は比較的分かってもらえるのだが、そうでない人には受け入れ
られない部分が多いようだ。しかし、同じように女の子を撮っていても、私とはまったく考え方の
違う人も中にはいたりする。但し、これに関しては女性が相手だけに考え方が違うで済まされない
ことがあるのだ。
そのような輩は、モデルの女の子はもちろんのこと、私にとっても敵であり、存在が迷惑なのだ。
私は、頑固で変わり者なので、そのような人に合わせることはできないし、私のリズムが狂う。
また、考え方というのはそう簡単に変わるものでもないので、係わらないと決めた。


私は、リウ・ミセキと武田久美子のコンビで作った写真集Lady三部作が好きである。二人の世
界が好きなんだろうね。

Lady Casablancaの中に武田久美子が書いたこんなくだりがある。

写真集はフッとしたきっかけから始まります。今回はリウ・ミセキさんとの出会いが全てでした。
写真家として驚くほどの緻密な計画性、スポンジのように私の希望を吸い上げてゆく理解力。それ
に、話してくれるアイディアは趣味の良いものばかり。リウさんは私の一番いい顔を知っているの
だと、インスピレーションで感じました。


次にLady NewYorkでリウ・ミセキはこう後書きにしたためている。

武田久美子ちゃんは、意地が悪い。「ありがままを撮ってほしい」と彼女はいったのだ。
それがどんなに難しい作業なのか、知ってか知らずか・・・
おそらく知っての上で、私に持ちかけた。 自然に撮れというのだ。
私が武田久美子の恋人だったらそれはいともたやすい。 二十四時間自分の女を追いかけて、パチ
パチシャッターを切っていればすむことだからだ。
トイレの中にまでついていって、ジョンヴェルよろしく撮りゃいい。
ちょっとフランス人を気取って、ワインでも飲みながらやると楽しいだろう。三倍ズームのコンパ
クトカメラで、ピントはおまかせで まあ200本も撮ればすむか・・・。
空気の中にカメラがある、そんな感じで撮ろうと、私は初冬のニューヨークでまるでアマチュアの
ように撮りまくった。 しかし、これこそが本当の「撮り下ろし」だったことに気がついたのは撮
り終わってからだった。
言葉にならない不思議な手応えがあったのである。
第一弾「レディ・カサブランカ」の、正眼に構えた写真とはまったく違う湿り気のある上質な官能
写真が撮れたと。今は久美子に感謝している。
写真集は相方あってのものだからだ。

さて、貴方はどう感じる?

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