テクニックにこだわってるわけでもないが


まなちゃんを撮る場合、特に『素顔のままで』のまなちゃんの撮影は、撮影会での撮り方とはまっ
たく違うと言える。
まなちゃんは私だけに集中しているのだから、私もそれに応えるカタチになるが、このスタイルが
定着してしまって、撮影会などに顔を出すと、ちょっと戸惑ってしまう部分もある。
最近は、忙しくなってしまい、企業系の大撮影会などにはまったく参加していないが、自分の思い
通りにならないその手の撮影会にそれほど魅力を感じなくなってしまっている。
すべてを与えられた状態で、後は自分のできる範囲で切りとっていく撮影方法だが、撮影者が多け
れば、アングルを変えることもままならないし、レフの効かせ方を変えるなんてこともできない。
今となれば、それがもどかしくて仕方ないのだ。

話しを軌道に戻すが、まなちゃんとの撮影の場合、ある程度ロケーションやシチュエーションは決
めているが、撮影しながらその時の光の具合や周りの状況に応じて、まなちゃんを動かし、全体の
フレーミングを含めてイメージを決める。その時にはファインダーは見ない。
以前は、85mmとかのレンズをつけたカメラのファインダーでフレーミングの決定をしてたりし
たが、最近はほとんどすることはなくなった。
そのイメージというのは、まなちゃんのフレーム内での大きさを含めてバックの写り具合とか全体
のトーンをまず考える。その後に、レンズの選択を考慮した構図を決める。15mmの超広角から
300mmの望遠域まで、ほぼ隙間なくカバーしているレンズの中からどれを選ぶか考えるのだ。
だから、どのレンズを使うかが事前に決められない部分もあり、常に10本のレンズを持ち歩いて
行くととになり、撮影時はそこら中にレンズが散乱するという状況である。
保護フィルターをつけていないLレンズを転がしているのを見て、驚いている人もいるが・・・
撮影会と違って個人撮影となると、とにかくレンズを含めて機材が倍に膨れ上がるのである。
私のカメラバックを持ったことがある人は分かるだろうが、置き引きに遭ったとしても、まず逃げ
切れない。その重さに腰を抜かすのが落ちである。

頭の中に15mm−300mmのズームレンズを仮想して考えるのであるが、まずは85mmが基
本となって前後させるわけだ。まぁ、状況によっては、いきなりここは20mmで行くとか決める
場合も当然あるあるし、標準の85mmのままで考えることもある。
その架空のズームレンズは、しっかりボケの再現も出来るわけで、望遠域になるとしっかり圧縮効
果とバックのボケもバーチャル的に見えるし、広角になればパースも周辺光量落ちも再現される。

ただ、単にアップを撮る時に望遠を使い、フルショットの時に広角レンズを使うなんてことは、そ
のバーチャル・フレーミング・シミュレーターにはプログラミングされていない。
それは、撮影会モードの場合であり、個人撮影モードではこの考えは完全に邪魔者となる。
個人撮影となれば、モデルのまなちゃんも撮り手の私も自由に動き回れるのであるから、そんな馬
鹿げた定理は捨て去る必要がある。超望遠のフルショットは最高だし、超広角だって寄れるのだ。

『素顔のままで』では、モデルのまなちゃんと私も仲良くなってきているので、初対面のモデルを
撮るような感覚ではないし、見てくれている人たちも、よそ行きのまなちゃんではない部分を求め
ているようで、50mmレンズ1本でもいいから、ストレートにまなちゃんの捕らえてくれればそ
れで良いと言う意見もある。
その考えも、もっともなことであって、『素顔のままで』の本来の姿を見失ったり限界を感じて、
レンズワークに走り、もしくは視覚的な変化で誤魔化しに出たと思われても仕方がないかもしれな
い。特に最近の撮影雑記では、結果も出せてない状態で新レンズの導入報告ばかりしていたのだか
ら。

最近の私のレンズ選びは、まなちゃんとの撮影で使うことが大前提であり、そこから派生した結果
なのである。まなちゃんの姿を一年間見続けてきて、未だ撮れずにいて「こんな彼女も撮ってやり
たい・・・」と思うことも多く、その部分を埋めて、さらに表現の幅を広げたいということである。
実際、今回のペンションでの撮影も28mm単レンズで撮ったものはけっこう気に入っているのだ。
まなちゃんも好きな写真として、その28mmでの写真を選んでいる。

私も一応カメラマンとしてクリエイターでありたいと思っている。決してまなちゃんの記録係りで
はないわけで、フィルターやアオリを使うこともあるし、フィルムの使い分けもする。
これは、浮かんだイメージを再現するための手段であって、テクニックの押し売りをしているつも
りは毛頭ない。
また、私の中で浮かびあがるイメージは、カラーの世界であって、モノクロがどうも出てこない。
それに近いものはあっても、ベースはカラーなのだ。モノトーンであっても、モノクロとして浮か
んでこないのである。小学生のころからモノクロと親しんできて、中学時代からは暗室にこもった
りもしていたので、モノクロについては潜在意識として充分にあるはずなのだが・・・
だから、無理にモノクロのフィルムを詰め込んで、撮影しようと言う気にはならないので、私の中
で、自然発生的にモノクロのイメージが生まれるまでは、そこに踏み込むことはないであろう。

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