プライベート撮影におけるひとつのカタチ


最近、個人撮影をはじめようとしている方達からのメールが増えてきた。
そのいずれからも、これからの撮影に心弾む様子が伝わってくる。そして最後にゃ、決まって質問
が書かれてある。
質問されちまうと、返事を書かなきゃいけないわけだが、特に私はレス書きが苦手なわけでもない
し邪魔臭いと思う方ではないので別にいいのだが、質問となると「じゃー個人撮影頑張って下さい
ね」だけって訳にもいかないので、結構マジに答えてしまったりする。

まぁ、皆さん念願かなってモデルの女の子との撮影が迫って楽しみな反面、不安の一つや二つは持
ってるようだ。
それは、技術的なことや機材についてが多いが、最近は対モデルについての精神的な面での葛藤を
書いてくる場合も増えてきた。
特に若いカメラマンに多いのだが、私にも彼らの想いはよく分かる。そりゃ気に入って撮りたいと
思った女の子をモデルにするのであるから、単に被写体として見る範囲を超えてしまうのではない
かということだ。

そんなことを打ち明けてくれるメールが多いのも、私がまなちゃんとの撮影を続けているからのよ
うであり、そんな撮影ができるいい関係を維持していることが徐々に定着してきたのであろうか?
彼らに対して、私の答えは決まって「惚れちゃっていいじゃないですか!」ということである。
しかし、条件付きであるのは言うまでも無い。
あくまでも、一緒にポートレートを作っていくパートナーであるという前提を崩してはいけないと
いうことだ。もちろん撮影中は自分だけのものであり、堂々と独占してしまえばいいのだ。
そう思えないようなモデルを撮ることはつまらないし、少なくともオレ流の写真を撮ることはでき
ないな。
モデルをオブジェ的に扱った撮影を行わないのも、そのオレ流の裏返しってことになる。

また、個人撮影のモデルとして撮っているまなちゃんと、今後写真のアップを予定しているゆみち
ゃんとはノーギャラってことでやっているが、別に金をケチっているわけでもなんでもない。
ギャラを払って事務的に現地集合、現地解散の方がよっぽど安くつくかもしれない。
あまり金銭的なことを書くのは好きではないが、頑張ってモデルをしてくれ、楽しい撮影ができた
ことへのほんのお礼のつもりなのである。

それが、ギャラというカタチになると、今日は暑いのに頑張ってくれたからXX円とか、今回は時
間が短かったので、XX円で我慢してね。なんてやり取りは私には考えられないことである。
私は、プライベートな個人撮影のモデルとはギャラで繋がっているような関係にだけはしたくない
のである。だから、1円たりともキャッシュを払ったことなんてない。
それに、そんなギャラが絡んでいるような撮影風景ではないことは、私たちの撮影を見てもらえば
よーくわかるはずだ。
そんなもの、お互いを縛るだけであると私は考えている。
それに、私との撮影がおっくうに思われていると感じた瞬間に、撮ることを止めるつもりである。
まなちゃんには、撮影後のご飯だけで大満足だから、余り気を使うなとよく言われるのだが、そん
な可愛いことを言われると、余計に何かしてあげたくなってしまったりする。

ちょっと、話がズレたようなので軌道修正するが、私は気に入ったモデルと遊んでいるような所も
多々あることは認めるし、撮影しない日だってけっこうある。
しかし、そんなことが出来るような関係になることが、いざ撮影となった時にいい表情を撮ること
を可能にしてくれている。
以前にも書いたが知り合いには見せられなくても、友達には平気でできることってあるのだ。それ
は屈託の無い笑顔だけなんて短絡的なものではなく、すべてにおいて見え隠れする部分である。

表面的に、明るく笑っているような写真だけが、そんな雰囲気を現すように思えるが、実際にはそ
んなに単純なものでもない。私としてもそのようなことを意識する時期はとっくに終わっているが、
『素顔のままで』全体を通してそのような空気が観る側に伝わりだしたのだと思っている。

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