撮影リズム


今回の高野町での撮影は、消費フィルムが時間に対して少なめであった。それは、撮影時間が取れ
なかったわけではなく、じっくりワンカットずつシャッターを切っていたからである。
個人撮影でマンツーマンとなればこのようなスタイルが本来の姿なのかもしれない。私としては、
撮影会などの方が、カット数が増えるように感じるのだ。少ないチャンスをモノにし、一瞬の動き
も逃さないように、シャッターを切りまくる傾向があるように思う。

私とまなちゃんの撮影では、シャッター数が多い場合と少ない場合があって、それは事前に決めて
いるわけでもなんでもなく、その時に私が感じる雰囲気によるのである。
シャッター数が少ないからといって、ノリが悪いわけでは無く、撮影のリズムだけのものなのであ
る。単に今回がスローバラードのようなテンポであっただけで、途中で転調する事も無くその流れ
で最後まで撮ったわけだ。

そんなその日のリズムは、私が決めるわけでも、まなちゃんが決めるわけでもなく、自然に流れが
出来上がってしまうのである。もちろんまなちゃんもそれに気付いていたと思われ、上手くそのリ
ズムに乗っかってくれた。いや、逆に私がまなちゃんの気分に引き込まれたのかも知れない。

私は常日頃、出来るだけ自分ひとりで突っ走らないように心掛けていて、特にまなちゃんの場合は
イヤとは言わないので、注意が必要なのである。私が設定した構成に対してすごく素直に応じてく
れるのだが、レフ位置を決めて撮る態勢に入ると、まなちゃんにある程度任せるようにしている。
私は、顔の角度とかをチェックして、光が綺麗に回っているかに気をつけて、時々修正したりする
程度であるが、そんなやり取りの中で、お互いその日のリズムをどちらからともなく、掴んでいる
ように思うのだ。

今回の高野町の撮影は、今まで私が決めてきた撮影ポイントとは、物理的にも心情的にも大きく違
っていた。事前にメールや電話で話したことを総合して、私の中である程度の構想は出来ていたが、
実際にこの目で見ると変わってしまう部分もある。
しかし、ただ自然の中にロケに来ただけではなく、まなちゃんの育った町であることに意味がある
のだ。

今回私が特に思ったのは、まなちゃんが子供の頃に自分だけの落ち着ける場所だったと教えてくれ
た滝に是非行きたいと思ったのである。その滝までの道も彼女の思い出の道であり、朝の光に輝く
紅葉に彩られてたその道をゆっくりクルマで進みながら、その日の撮影のリズムが自然と出来上が
って行ったのである。
当時のまなちゃんが歩んだリズムを壊したくないという想いが沸いてきたとでも言うべきか。
時間さえ許せば、いつまでもそこにいたいと思わせるほど、静かに包み込んでくれるその場所で、
ボーっと鳥の声を聞きながら森林浴をしていたいと感じる場所であり、まなちゃんが好きな場所だ
と言ったのが少し分ったような気がしたのである。

不思議なもので、撮影に挑む前に抱いた感情というものが、そのまま上がった写真にも現れるもの
なのだ。バシャバシャとシャッターを刻む気にならなかった撮影であるが、まなちゃんも穏やかな
表情をしているし、私としてはそんなまなちゃんを慌しいシャッター音で乱したくないと感じて撮
影していたのが、ポジを見ている今になってそう感じられるのである。

だからといって、そんな想いに浸っているわけにいかないのがカメラマンの宿命であって、冷静に
光を計算し、フレーミングを考え続けなければいけない。バックになる色付きはじめた紅葉や、キ
ラキラと輝く清流の輝きを活かすためには、かなり強めの補助光を補ってやる必要があり、当然レ
フ持ちのアシなど居ないのだから、レフの微調整を行ないながらの撮影であるが、優しく丁寧に撮
りたいという気持ちを切ることなく撮影できたと思っている。

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