メカ好きから入った世界は・・・


カメラというのは、面白い存在である。古くても価値があるカメラは多いし、そうかと思えば、ハ
イテクを駆使した最先端機種も続々登場している。
こう言う現象は、同じカメラでもビデオカメラの世界ではありえない。今時肩に担ぐような大きな
アナログのビデオカメラを使っている人は珍しく、そんな物を持っていれば、TVクルーかと思わ
れるのが落ちだ。

カメラはどちらかと言えば、自動車に近いかもしれないな。どんどん新車が発表される中、古いク
ルマで優雅に走る事を楽しむクラブがあったりする。
また、ターボで武装したハイパワー車に対して、あえてノンターボでフィーリングを楽しむ方向で
開発されている場合もあって、‘カムに乗る’と言うレシプロエンジン独特の吹けあがりは、エン
ジンを語る上では、欠かすことの出来ないチェックポイントである。しかし、これはカタログ上の
数字からは読み取り難い部分であって、エンジンの性能曲線から想像は出来ても、体感するのが一
番手っ取り早い。
その点、一気に高回転までスムーズ過ぎるほど回るロータリーエンジンは、人気が落ちているよう
で、それは面白味に欠けるからであろう。
私の場合は、プライベートではレシプロエンジンに乗り、レース用としてローターリを使っていた
りもする。

この手の話題を書かせたら、いくらでもネタが尽きない私である。
先日も、初代のギャランGTOやFTOを知らない世代がいて驚いたし、カペラは昔からおっさん
グルマだと思っていたり、ハコスカ、ケンメリは知っていてもジャパンを知らない現行のR34ユ
ーザーがいるのだ。
それに、サニーが売れまくり、日産がトヨタと壮絶なトップ争いをしていたことも最近の若者は知
らない。・・・・ちょっと待てよ、私の年齢を勘違いしないで欲しいが、私は小学生の頃から、近
くのカーディーラーでは有名な子供だったのである。

いかんいかん、とんでもない方向に向かいだした・・・なんとかここで、撮影雑記らしく軌道修正
してみよう。
先日のカメラとクルマは私にとって道具そのものであり、好みも近いかもしれない。
しかし、私も以前ほどマメさが無くなってきたようで、クルマをチューンしていた時期は、パーツ
は無ければ作るという考えで、自作パーツを組み込んで全て自分でやっていたが、カメラに関して
は、フォーカシングスクリーンを交換するぐらいである。
後は、フィルターホルダーに可変フードを合体させたり、レフを作ったりする程度である。

それは、別にサボっているわけでもなんでもない。クルマはエンジンに手を入れれば、物理的に効
果がはっきりと現れるし、結果となって返ってくる。
しかし、写真はそう簡単ではないのだ。特に私が撮っているポートレートの世界では。

数字や公式で解決できることも当然ある。絞りとシャッター速度の関係や、ストロボのガイドナン
バーの計算などはそれだが、構図などはある程度の公式はあるが、センスを問われる部分であり、
露出の補正などもその範ちゅうになりそうだ。
もちろんクルマのチューニングだって、公式を離れた部分でセッティングを繰り返しノウハウの蓄
積がモノを言う世界であるが、所詮相手は機械である。

しかし、ポートレートとなれば相手は人間であって、しかも女の子なのだから、公式に当てはめる
ことなど出来ないし、答えがあるようでなかなか上手く行くものではない。
アクセルを踏み込めば勢いづき、ブレーキを踏めば制止できるような単純なものでもないのだ。
すべては、いい関係を築いて初めて流れだすものであって、その部分を甘く見ているケースを目に
することが実に多い。

また、私とまなちゃんで創っている『素顔のままで』の結果である写真だけを見て、模倣しようと
しても、それは無理ってことである。
何事にも、プロセスがあって結果があるわけだが、特に静止画である写真を甘く見てはいけない。
その静止画の中にも、しっかりとそのプロセスが写しこまれているのだから。

写真の技術など度外視した部分に大きく影響するのがプロセスだという事を忘れているのではない
か? また、撮影会写真と同じに見えてしまうようでは、何の意味も無いし、個人撮影をしていて
も、撮影会の延長で終わってしまわないようにしたいものだ。
私が、まなちゃんとの撮影で、撮影会では100%不可能なシチュエーションで撮影していたりす
るのも、そういう部分を大事にしてきたから可能なのである。

いくら、専門的に技術を学んでも、公式や数字を並べてみても仕方の無いことなのである。
メカ好きから入った写真の世界ではあるが、そんなことがちっぽけに感じている今日この頃なので
ある。
と言うことで、今から三次に向けて250km突っ走ることにするかな。

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